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亡き母への報告 太平洋戦争と父の死  


西部ニューギニアを訪問 (2010年8月27日~9月5日)

  慰霊友好親善訪問団に参加



私の母 乾 康子は、4年前93歳で亡くなりましたが、私が物心ついた頃には、父 昇は、すでに徴兵制で戦地に行き、私の父への想いは亡き母を通してのものがほとんどです。
その母も、他界しましたが、母は生きている間に一度は、父の戦死した西部ニューギニアに行き、慰霊したかったことだろうと思います。しかし母には、生前その機会はありませんでした。

ところが2010年8月27日から10日間、私と3男の弟の哲司とは、日本遺族会の慰霊友好親善使節団の一員として、西部ニューギニアに行く機会をえました。私は男ばかりの3人兄弟ですが、次男の賢二が体調を悪くしているため、3男の哲司と2人で行きました。

太平洋戦争は、1941年(昭和16年)日本のハワイ島真珠湾の奇襲攻撃で始まり、緒戦は日本軍が米英等を中心としたの連合軍に対して、大勝利をえました。しかしその後、陸軍は東南アジアを、海軍は太平洋地域を主戦場として戦いましたが、物量に勝る連合軍の前に次第に劣勢に立たされました。それまで中国大陸に投入されていた陸軍の一部は、南方の前線基地に投入されることになりましたが、すでに先のミッドウェー海戦で大敗し、ほとんどの空母をなくし、食料などの補給も絶たれたため、ただただ守勢に回っていました。私たちの父 昇も兵役で召集され、当初は中国大陸で従軍していましたが、最後は西部ニューギニア前線に配属され、1944年(昭和19年9月2日)同サルミ地区にて戦死しました。当時、「ジャワ天国、ビルマ地獄、生きて還れぬニューギニア」と言われていたところであったそうです。

今回の西部ニューギニア訪問は、日本遺族会が政府の補助を受け、戦没者遺児による慰霊友好親善訪問団を形成、戦没者の遺児が亡き父の眠る地に行き、慰霊追悼を行うとともに現地の方々との友好親善を深めることを目的としたものでした。

私たち一行、34名は、8月27日午後、東京千代田区の九段会館で集合し、翌日、成田空港から西部ニューギニアへ向け出発しました。


現在、ニューギニア島は東部地区と西部地区に分かれ、東部はパプアニューギニアとして独立していますが、西部ニューギニアはインドネシア領になっています。

8月28日。JAL725で成田発、ジャカルタ経由で8月29日ジャヤブラへ到着。
月30日。小型機で父の戦死したサルミ地区へ。 
サルミ地区を上空から。
父の慰霊地で追悼
同行した弟の哲司(左)と現地慰霊碑の前で。
午後、ジャヤブラ地区のゲニムへ。慰霊地の近くに日本軍が使用したと思われる機関砲と鉄兜がありました。
8月31日。ジャヤブラ地区で病院を訪問。子供用の車椅子を贈呈しました。
ジャヤブラ地区の慰霊地近くで、部落の長老(85歳)=写真 に会う。「君が代」が歌えると言っていました。
月1日。ビアク島へ。日本軍、最後の砦であった西洞窟。ここには、軍司令部や野戦病院がおかれましたが、連日、米軍からの艦砲射撃と火炎放射による攻撃を受け、最後には火のついたドラム缶を投げ込まれ、洞窟内は、火の海に化したと言われます。
洞窟の近くにある資料館を訪れましたが、展示されている武器の90㌫は米国が使用しものでした。
展示室の片隅には、日本軍が使用したと思われる鉄兜と軍刀がありました。
当時、すでに日米の武器に大きな差があったようです。
日本軍が使用していた通信機器。米軍にほとんど傍受、解読されていたそうです。
9月2日。ビアク島の国立小学校を訪れ友好親善を交わしました。子供達は、私達の重苦しい心をなごませてくれました。
最後に、ビアク島西洞窟で合同慰霊祭を行い、9月3日ビアク島発、ウジュンバンダン、デンバーサール経由にてJAL720で9月5日に帰国しました。


「慰霊地を訪ねて」

今回、父の亡くなった慰霊地を訪ね、そこでは必ず兵士達の死と向かい合わねばなりませんでした。戦闘で銃弾に当たって、もがき苦しみながら死んでいった兵士達。洞窟に火のついたドラム缶を放り込まれて逃げ場を失った兵士達。飢えと渇きの中で息を引きとった兵士達。そして戦闘に巻き込まれた現地人達。そうした人たちの遺骨の一部は、まだ野ざらしになったままのところもあるそうです。

現在のわが国の平和は、それら多くの方々の犠牲の上に成り立っています。戦後65年が経ちましたが、わが国はこうした大きな戦争を経験し、わが国の国民にも他国民にも多くの犠牲者を出し、戦争の持つ悲惨さを嫌と言うほど経験したわけです。

現在も、あちらこちらで局地戦が行われています。我々は、二度とこのような悲惨な戦争を繰り返さないために国際社会の先頭にたって、平和を求めていかなければならないと思いました。

そのためには、この戦争を風化させることなく、戦争の起こった背景、動機、政治・社会システム等を冷静に検証し、正しい歴史認識の上に立って再び戦争を起こさないようにしなければなりません。


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