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私の母 乾 康子が、帰天しました 。

私達は、平成10年6月から、息子の家族と2世帯住宅で ここ愛知県半田市にある名鉄青山駅から徒歩5分のところに住んでいます。私たち親世帯は2階で、私と家内の朋子と母の康子の3人でした.子世帯は一階で、息子の勝彦と嫁の稚枝と孫の勝悟と将勝の4人です.


ところが、母がこの4月12日(平成18年の4月12日)に93歳で帰天しました。

母は、私達の父を太平洋戦争で早く亡くしたため、母一人の手で、姑さんを抱えながら、私達3人の男の子を育ててくれました。私は長男として母がたいへん苦労している姿をしばしば見ることが出来ました。私が小学校を卒業し、カトリック系の六甲中学校に入ったこともあって母もカトリック信者になりました。その後、母の心を支えていたのは、信仰とそこで働いている神父様達の励ましであったように思います。また「どんなことがあっても子供は一人前に育ててくれ」と戦場から送られてきた父の遺言を守ろうと必死だったように思い ます。

その当時の疲れが出てきたのか、4年前から体調を崩し美浜にある渡辺病院にお世話になっていました。同病院の看護師さん達の心の通った介護もあり、最近では徐々に元気を取り戻し、亡くなる3日前には病院の周りの桜を車椅子に乗せて見に行きました。その時は、満開の桜が風で散る様を見て、「花はやはり近くで見るのがいいわねえ」と喜んでいました。その時の様子からは、こんなに早く別れが来るとは思いもしませんでした。亡くなった当日も家内と病院へ見舞いに行く準備をしていました。その時突然、病院から母の容態が変わったからすぐに来てくれと電話があり、行ってみますと、その時、母はもうかすかに息をしているだけで、言葉を交わすこともなく息を引きとりましたが、母の顔には、少しも苦しんだ後もなく、一生懸命に生きたといった満足感と自分は出来るだけのことはしてきたといった充足感がありました。

母は、若い時は、相当に苦労したと思いますが、晩年はたくさんの善意の人達に囲まれて幸せであったように思います。母は、最期にお世話になっていたカトリック半田教会で、たくさんの信徒の方に見守られ、この世を去って逝きました。今頃、母は、神様のもとで、私達の父から「康子、よく一人で頑張ってくれたなあ」と言われているものと思われます。やっと母は、安住の地をえられたのではないでしようか

追谷墓園 神戸市中央区山本通3丁目 (078-241-5277)




住まいの周辺です


名鉄青山駅。特急も停車します。
駅前のスーパー。物価は東京や大阪とくらべ野菜や魚等は、新鮮で安いです。
徳川家康ゆかりの常楽寺へは徒歩5分。
カトリック半田教会も車で15分のところにあります。
徒歩1分のところに長泥(ちょうでい)の径という散歩道があります。毎朝5時頃から1時間程度散歩するのを日課にしています。
わが家の周辺です。
わが家です。知多半島にお越しの節は、ぜひお立ち寄りになって下さい.