「ダルタニャン物語」最終章で彼がいまわの際に口にした言葉
「アトスよ、ポルトスよ、また会おうぜ!……アラミスよ、永遠にさようなら!」の解釈について(1999.1.28〜1999.4.13/全23発言)ダルタニャンの最後の言葉、あれ、アラミスだけはずしてますよね。訳のせいでそうよめるってわけじゃないですよね。やっぱりダルタニャンはアラミスがゆるせなかったんでしょうか。
シラノさん、こんにちは。アラミスだけが別だなんて!いいえ、決してそんなことはないっすよ。
四人は永遠に一緒なんです。どうして "Tous pour un, un pour tous" の誓いを踏みにじるようなことがあるんでしょうか!!!!アラミスは永遠に地獄の業火で焼かれるって書いてありました
(^^;ちょっと、原作にはそんな事書いてなかったような気がするのですが。ニュートンクラシックスの「鉄仮面」にはダルタニャンのいまわの言葉が次のように解釈されています。
『だがデュマは、許しがたい陰謀をめぐらした罰をアラミスに与える。アトスは息子と共に天国の門に立ち、ポルトスとダルタニャンもそこでアトスに会うだろう。だが、アラミスは、灼熱の炎が待つ場所へ送られるのである。』やはりアラミスは地獄行きなのでしょうか…(-_-;) (原作アラミスファンの方、申し訳ありません)お久しぶりにお邪魔します。いきなりですが、ダルタニャンの最後の言葉、私が文通している、三銃士ファンの人ともあれはどういう意味なんだろう、と不思議に思っていたのです。その人もニュートン版とか、講談社の訳を見て、
永遠にさようなら、とあるのでびっくりしたらしいです。で、私は原文を推測して”Adieu”がそう訳されたのかもしれないと言っていたのですが、これは自分でも、鈴木力衛さんのような翻訳者がそんな基本的な誤訳(だと思うのですが)をするだろうか、というので納得しきれないものがありました。私の持っている三省堂のクラウン仏和辞典には、確か”Adieu”は「永遠にさようなら」だけではなくて、普通の「さようなら」の意味でも使われるし、特に南仏ではそうだというようなことが書いてありましたので、ダルタニャンの出身を考えるとまあありえないことでもないのかな、とも思いますが、しかしあの場面で力衛さんがそう訳されるというのは納得いきません。しかもその疑問をぶつけてきた彼女の報告によると、英語版ではその部分に"forever"とあったというのです。これはフランス語の原文を見るしかないのかな、と思い、この掲示板で一度お尋ねしてみようと思っていましたので、ちょうど良い機会だと思いました。どなたか原書をお持ちの方は、その部分を確かめていただけないでしょうか。よろしくお願いします(この謎が解けたら、もちろん文通している彼女にも教えてあげるつもりです)。>K.Nakayama
さんダルタニャンの最後の言葉は原文では以下の通りです。
“Athos, Porthos,au revoir. ---- Aramis, a jamais, adieu! ”“
a jamais”は 手持ちの仏和辞典によると「いつまでも、永久」にという意味の英語の“forever”に相当する熟語です。“adieu”が“a jamais”によって「永遠の別れ」のニュアンスが強められているので、鈴木先生は「永遠にさようなら」と訳したのだと思います。(わたしの勝手な推測ですが…)ダル物の一番最後の台詞、私もずっと不思議に思っていました。
4人の友情は永遠だと思っていた私にはちょっとショック。もちろん大人になればいろいろ汚い面も出てくるのは仕方ないとわかってますが、最終的には底の部分で許し会える間柄だと思っていたかったので。最後にアラメダ公爵となったアラミスと会った時のダルタニャンは、「もうおまえなんかと2度と会いたくない!!」って雰囲気でもなかったし。無理やり、「アトスとポルトスはもうあの世に行っててすぐ会えるけど、アラミスはまだ死んでないので、とりあえず今は今生の別れを述べておこう」という風に解釈してました。本当のところはどうなんでしょう。ダルタニャンはアラミスとは縁を切りたかったのでしょうかね。デュマに聞いてみたいです。今、話題になっているダルの最期の言葉。あれ、めちゃめちゃショックでした。11巻読み終わったときは、もう再起不能。一日中寝込んでいました。うーん。でも、
ダルとアラミスって、本当に仲良しだったんですか?最期のことばに限らず、ダル物読んでいる間中ずっと疑問だったのですが・・・私も、
Minetteさんと同じように、今から行くあの世でアトスとポルトスに会えるけれど、アラミスには当分?会えないから、別れを述べるという風に解釈していました。ニュートンクラシックスの「鉄仮面」は読んでないのですが、ニュートンの「三銃士」を見る限りではニュートン風の見方・解釈があるように感じているので・・・そう見る人もいるかもね、と都合良く解釈しちゃいけないかしら? じゅんいちさん他みなさんのの言うように、"Tous pour un, un pour tous" っていうのは、4人はいろいろあったけれど、(アラミスとダルは互いに策略を巡らせていたり、アラミスは結果的にポルトスの死の原因となったりしたけれども!)そう言うのを越えて許し合える、信頼し合える友情を若い頃か40年も持ち続けてこられた、ってことを言うんじゃないでしょうか。ダルの最期の言葉、私も
Minetteさんやなおさんのように解釈していました。死んだ後、行く場所が違うってダルが思ってたっていうのは、何か悲しいですよう(;_;)。ちなみに、キリスト教って確か自殺か、神を試したり裏切ったり神にうそをついたりしたら確実に地獄行きだったと思います。(うる覚えだけど・・・。)そうすると、あの四人はどうなるのかな。アトスは確実に天国、ポルトスも天国だろうな。あとの二人は・・・えーと、えーと・・・(オイオイオイオイオイ
/汗)ダルタニャンの最期のセリフについて、皆さんそれぞれ解釈されているようですね。彼のセリフに続く最後の文を読んでみると講談社文庫版では以下のようになっています。
『これまでわれわれがその物語を続けてきた四人の勇者のうち、生きた肉体を持つ者はただ一人しか残っていなかった。その一人をふくめて、神はこの四人の魂を天に呼び戻されたのである。』上の
講談社文庫版ではダルタニャンと三銃士は天国に行ったということになりますよね。ところが角川文庫の「仮面の男」ではダルの最期のセリフに続く文が以下のようになっています。『こうして、この物語の四勇士は、今はただ一人を残すのみとなった。すなわち神は三人の魂をその御許に召されたのである。』一見同じ内容に見えて、下線部は大きく違いますよね。原文ではどうなのでしょうか?原文をご存知の方、教えてください。(前回のコメントで紹介したダルの最期のセリフの原文は、そのセリフだけ教えてもらいました^^;)
女性ファンほど熱烈ではないものの、「アラミスはずし」のようなお考えに対しては、どういうわけか防戦いたしたく参上しました。(助太刀?)
スペインに逃げたあと、今度は彼が大使アラメダ公爵となって現われ、ルイ14世やコルベールと堂々と交渉する場面がありますね。もちろんダルタニャンともじっくり旧交をあたためるわけで、「罪や恨み」がくすぶっている様子は見えません。
…したがって、僕としても基本的に
Minette さんのそれから、なるせさんのお尋ねの原文は、友人から
FAXで届いたのがよく見えないのですが、多分:ダルタニャンの臨終の言葉の件で盛り上がっていますが、英訳ではどうなんだろうかと、『
FireBlade Coffeehouse』の『ダル物』掲載サイトから、『The Death of d'Artagnan』http://www.hoboes.com/html/FireBlade/Dumas/IronMask/Epilogue2.html を見たんですけど、例の言葉が、“Athos, Porthos, au revoir! Aramis, adieu forever!” となっていました。(『au revoir』、『adieu』が仏語のまま。)私の持っている、小学館プログレッシブ英和中辞典で調べてみると、
『au revoir』は《フランス語》の注がされて『ではまた、さようなら』、『adieu』は英単語扱いでで『さようなら、ごきげんよう』となってました。またこの辞書には、『adieu』が『中フランス語のadieuより』と書いてあり、その当時のフランス語では、『a』が『〜へ』(現代フランス語の『a』)、『dieu』が現在と同じく『神』ということで、『汝を神に託す』という意味だったこと、これの英語版が『God be with ye』(古い英語で『ye』は今の『you』)で、こちらは『Goodbye』の元になっていることが分かりました。また、同じ小学館のプログレッシブ仏和辞典では、『jamais』の項で、『a (tout)jamais《文章》=pour jameis 永久に』と載っており、『jamais』は英語の『never、ever』に、『pour』は『for、to』に対応するので、英語で『a jamais』は『forever(for everとも書く。)』になってるんですね。これらから考えると、
『adieu a jamais』でダルタニャンが言いたかったのは、『もう決して君とは会わない』ではなく、『神がいつまでも君と共におられるように』だと思うんですよ。また、英訳での結びの言葉は、以下のとおりになってます。
『 Of the four valiant men whose history we have related, there now remained but one single body; God had taken back the souls.』これは『;』で区切った後の『God had taken back the souls.』の解釈で悩みますわ。鈴木先生と『仮面の男』の訳者の方の違いは、ここにあるんですね。>
雄馬助さん、梅干さん「ダル物」の最後の文章の原文、英語訳を教えてくださってありがとうございました。二つ並べて比較すると確かに英語訳は原文の自動置換ですね
(^_^;) でも、どちらにしても最後の単語─les ames(the souls)をどう解釈するかにかかっていますね・・・最近大学に来ていなかったもので、ここにも御無沙汰しておりました。今日見てみてびっくりです。最期の言葉の謎に関するいろいろな方のご意見、参考になりました。原文も見ることができたし・・・。
私自身としては、やっぱり、
これから天国で再会するアトス、ポルトス達へのあいさつと、まだしばらくは地上で生涯現役でがんばりそうなアラミスへの別れ、というのが一番自然な気がします。アラミスっていつまでも生きてそうな気もするし・・・。しかし、永遠にさようならっていうのはどういうことなのだろう?梅干さんの解釈はそういう意味ではうなずけるのですが、それでもフランス人の当時(つまりデュマの執筆当時)の読者にもこのセリフはそういう意味で自然に受け取れるセリフなのでしょうか?そもそもフランス人はこのセリフをどう受け取っているのでしょうね?その辺がまだよく分からないです・・・。とりあえず、家で原文をしっかり味わってみます。え〜。すいません。ダルタニャン殿が、いまはの際にアラミス猊下をはねたんじゃないか、と言い出したシラノです。自己レスって感じで何ですけれど、こういうのはどうでしょうか。
「ダルタニャンの、聖職者アラミスへの懺悔。強烈に意地悪な冗談を言って、友人アラミスをゆるした。」ダルタニャンは三銃士の善いところも悪いところもよく知っていました。たしか、自分が死んでもアトスなら善人らしく涙を流して済ましてしまうだろうから当てにならない、みたいなことを言ってたことがありましたよね。友情に酔わずにさめた眼で人を見ることが出来たのです、ダルタニャン殿は。だからアラミスが権力を求めてなにかをしでかすだろうことも、そのために仲間のうちの誰かを引っ張り込むかもしれない(ダルタニャンだってマザランの為に(?)三銃士に誘いをかけました)ことだって頭では理解できるハズです。ただ、ダルタニャンはうまくやり、アラミスはしくじったというだけです。(これもリクツではあります。ポルトスに対しては失礼ですが。)それに4人が新王宮前広場で誓いをたてた後、ダルタニャンとアラミスが直接やりあうようなことはありませんでした。ベル・イール・アン・メールに逃げたアラミスたちの敵は国王で、派遣されたダルタニャンの敵はアラミスたちではありませんでした。
キリスト教徒であるのハズ(?)のダルタニャン殿が死ぬ前に懺悔をするのは当然でしょうし、坊主は間に合わない、まぶたに浮かぶ友の顔、こいつがヴァンヌの司教様(でしたよね?)ともなれば思わず知り合いに頼んでしまおうというのが人情(く、くるしい)。大体、あのミレディーをゆるせたダルタニャンが、アラミスをゆるせない訳があろうか、いやない。(それでもアラメダ公爵の語る友情が白々しく聞こえるのは変わらないケレド)
「そういうお主は」は名曲だ、みなさんご存知ですかのシラノ
ダルタニヤンの最後の言葉(11巻の一番最後の言葉です)の意味が、私はいまだによくわからないのです
(この話題はすでに語り尽くされているのだろうか?もしそうだったらごめんなさい)。もしよければ、どなたか教えて下さい。11
巻の最後の言葉については少し前にかなり話題になりましたよね。(私も振った当人だったような気もします・・・。)フランス語原文では "Athos, Porthos,au revoir. ---- Aramis, a jamais, adieu! " となっていて、 ”a jamais”が英語の“forever”に当たる言葉で、文字どおり、「永遠にさようなら」となるけれども、どうしてそうなるんだろうと。で、私が賛成かなと思った説は・・・、
アトス、ポルトスとはもうすぐあちら(そこは天国なのでしょうが)で会えるけれど、アラミスはまだまだ来そうにないから”Aramis, a jamais, adieu! "って言っているのではないかということだったと記憶しています。でも、”a jamais, adieu! "っていう言葉のニュアンスの解釈が難しくて、それはどの程度のさようならなのか、結局当時のフランス人にとってそれがどんな意味だったのかはわからない、ということだったのではないでしょうか。ダルの最期の言葉について熱い議論が交わされていたのは書き込み始めた頃だったのかな、皆さんの意見を感心しながら興味深く拝見していました。私は昔、
アラミスが聖職者だから「行く場所」は別なのかしら…なんてことをぼんやり考えていましたが、今はK.Nakayamaさんが賛成かなと言われる説を考えています。やはり皆さん、不思議に思われるのですね。>K.Nakayama
さんダルタニヤンの最後の言葉の意味の解釈、どうもありがとうございました。やっぱり皆さん疑問に感じておられたんですね。ただそれでも、「永遠に」の意味が(訳が?)わかりにくいですね。フランス人なら何か感じるものがあるのでしょうか?
書き込んでくださった文章のうち、テーマに関係しない部分は一部省略してあります。また、読みやすさを考慮して、編集時に改行位置および文字色の変更をしていますので、ご了承ください。
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