アラミス関連年表

「ダルタニャン物語」において、時系列でアラミスの行動を追った年表です。日時が判明するものについては出来る限り押さえてみました

1602〜1604

アラミス誕生

1611〜1613

9歳で神学校に入る

1622〜1624

叙品を受ける予定だった20歳の誕生日の3日前、士官に侮辱され、以後1年間毎日剣道の特訓

1623〜1625

ペイエンヌ街で例の士官を殺害、大騒ぎになり、叙品見込み立たず

以後、アトス、アラミスと知り合い、銃士になる

1625

アミアンの庭でピュタンジュ氏に引率され、バッキンガム公を逮捕

当時、神学校に籍を置いていた(史実は1625.6.7)

1625〜1626

ハンカチの一件でダルタニャンと決闘の約束、護衛士との一戦に助太刀してもらい友情を結ぶ(4月中頃〜)

シュヴルーズ夫人と密会、ロシュフォールにバッキンガム公と間違えられる(7月中頃〜)
自分の下宿をシュヴルーズ夫人に貸し、バッキンガム公爵と王妃の密会を手助けする
ダルタニャンから宮廷の陰謀を聞き、協力することに

ダルタニャンの采配により、三銃士とイギリスへ向かう(9月20日)
肩に貫通銃創を受け、クレーヴクールの宿屋で一行から離脱

失恋の痛手からクレーヴクールで叙品を決心したが、ダルタニャンに渡されたシュヴルーズ夫人の手紙を見て誤解が解け撤回(10月4日〜)

リュクサンブールの裏手で仲間とイギリス人相手に集団決闘し、一人追い払う(10月下旬〜冬頃、翌年4月頃か?)

1627

シュヴルーズ夫人から出陣準備の金貨が届く(4月頃)

ダルタニャンのボナシュー夫人との逢引に仲間と付き合う(4月末頃水曜日の夕方シャイヨ街道6〜7時)

ラ・ロシェル包囲戦に銃士隊出陣(5月1日)

国王発熱のためヴィロック滞在(6月28日)

国王と共にラ・ロシェル到着、ダルタニャンと合流(11月)

アトスらと赤鳩亭で飲み、枢機卿の護衛を依頼される(12月3日)

サン・ジェルヴェ稜堡の戦い(12月4日朝)

ミレディの動きを止め、バッキンガム暗殺を阻むため、仲間と画策

1628

国王の護衛で三銃士と共にサン・ジェルマンへ一時帰還(8月15日頃〜)

ポーツマスでバッキンガム暗殺(8月23日)
パリ到着し、休暇をもらう

ベチューヌのカルメル会修道院に到着、アルマンティエールでミレディ処刑に立ち会う(8月25日〜)

国王の護衛でパリを出発、ラ・ロシェルへ戻る(9月 6日)

国王と共にパリ帰還(12月23日)

1629?

ロレーヌへ旅行に出かけ行方不明、ナンシーで叙階を受ける

*銃士除隊の順番「ポルトス→アラミス→アトス」(「三銃士」エピローグ)
「最初に姿を消したのはアトス」「そのつぎがポルトス」「三人目のアラミス」(「20年後」第6章)

1645?

この頃、デルブレー僧院長と名乗り、シュヴルーズ夫人とノワジー・ル・セック村のフィリップを訪ねる

1648?

新王宮前の決闘でダルタニャンに介添えを依頼

*ダルの記憶だと1648年だが、「20年後」が同年開始のため計算が合わない

1648

脱獄したロシュフォールやアトスと連絡を取り合う(1月〜4月頃)
ロングヴィル夫人と付き合いラ・ロシュフーコー公爵に睨まれている頃、ノワジーの修道院へダルタニャンの訪問を受ける

スカロンのサロンで大司教補と会う

アトスと一緒にボーフォール公の脱獄を手助けするが、追っ手として現れたダルタニャン・ポルトスと敵味方に(5月中頃の聖霊降臨節前)
翌日、王宮前広場でダルタニャン・ポルトスと仲直りする

ランス戦勝(8月20〜26日)
アトスに呼び出されイギリス王妃と謁見、英国王を助けるためアトスとともに渡英

1649

ニューカッスルの戦い(1月5日〜)
クロムウェル軍に襲われ、ダルタニャン・ポルトスの捕虜となるが、チャールズ1世救出のため、三人の仲間とロンドンへ向かう

チャールズ1世処刑(1月30日)
ジャクソン司教に協力してもらい、仲間と国王救出に奔走するが失敗

ブローニュ経由でアトスとパリ帰還(2月1日)

イギリス王妃に英国王が処刑されたことを報告(2月8日)

シャラントンの戦い(2月9日)
戦場でシャティヨンを殺し、敵軍のラウルを捕虜にする

仲間の逮捕を知り、リュエイユにフロンド派の軍隊を連れてくる(〜3月11日)
脱獄したダルタニャンらとマザランを拉致、ピエールフォンへ

国王パリ帰還(8月18日)史実では1652年10月21日
ロングヴィル夫人に誘われてノルマンディーとルーアンを回った後ノワジー・ル・セックの修道院へ

1653

フィリップをバスチーユに連行

フランドルに3年、マドリッドに1年3ヶ月滞在

1661

マザラン死亡、ルイ14世の親政始まる(3月9日)

ヴァンヌの司教として聖体行列に参加、ダルタニャンと再会するが、国王の意図を悟り、パリへ向かいフーケにベル・イル献上を勧める

バスチーユを訪問、囚人と面会(6月1日)

フォンテーヌブローの祝宴にフーケと参上、国王に挨拶
フランシスコ会の老僧に会い、イエズス会管区長に任命される
ルイズを味方にする手紙をフーケに書かせるが失敗
老僧の葬儀でシュヴルーズ夫人と密会
国王拝謁の席で、ローマ使節と枢機卿への任命を承諾してもらう
ダルタニャンと話し合うも決別

パリでシュヴルーズ夫人の訪問を受けるが決別

アトス、ダルタニャンとバスチーユで遭遇
マリキアリの懺悔聴聞僧として面会、出生の秘密を明かす

ペルスランの店で国王の衣装の布地見本を入手、ベーズモーに身分を明かして、フィリップ殿下を釈放

ヴォーの祝宴でポルトスと国王すりかえ、投獄(8月17日)
翌日、計画の失敗を悟りポルトスとベル・イルへ逃亡

ベル・イールで反逆者として追い詰められ、ポルトスを失う(9月)
単身逃げ延びてスペインへ渡り、アラメダ公爵と名乗る

1665

アトスらの墓所でダルタニャンと再会(10月?)
スペイン大使としてフランス国王と外交交渉

<レポート:いせざきるい/©三銃士ファンクラブ銃士倶楽部2010>

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