6月の夜に              櫻井翔








たまには、風邪でもひいてみるものだなぁ…。

6月の湿気たっぷりの風に吹かれながら、大きめの花柄に彩られたワンピース、
その上から、薄手のカーデガン。

右手に、彼からもらった指輪。
もう今ではすっかり馴染んで、感覚すらない。

けれど、こんな日だけは、私が翔の彼女であることを自覚させてくれる。


ほわほわと、彼の髪が揺れる。
私の少し前を歩く彼。
髪の一本一本すら、キレイ。
思わず、見惚れてしまう。



「…っ、おいっ、!」


「…ん??あぁ、翔…?どうしたの??」


いつのまにか、私の隣に翔が来ている。
どうやら、私の歩くスピードが遅かったようだ。

「熱、あがってきた??」

「…あー…、わかんない。
だるさは、さっきと変わってないよ。」

「なんか、極端に歩くスピードが遅くなったからさ、…急いで病院行ったほうがいいと思ってたから、…はどうしたい?」


病院なんか、行かなくていい。


このまま、朝まで、あなたが側にいてくれたら。


…なーんて。
こんなときに、軽い冗談を言ってたら、かついででも私を救急棟へ連れていきそう。


実は、もう病院は閉まっているのです。
時間は夜の七時半。
久しぶりのデートだと思って、前の日から気合を入れてたら(何回も着ていく服を試着したりね)、すっかり体調を崩してた私。
日中は、なんとか我慢したのですが。
空気を感じ取るのが上手い彼は、気づかないわけなくて。
夕方頃から、途中でデートを切り上げて病院へ行こうと説得され始めたけど、出来る限り抵抗した。
でも、結局夜ご飯が食べられないくらい体調が悪くなってきちゃったから、翔は私を強引に連れ出した。
…救急の内科に。


「…じゃあね、もう少し、ゆっくり、歩いて。」


夜の歩道。
さすがの東京も、こうした住宅街なら、少しずつ人影が消える時間だ。
つないだ左手は、そのままに。
空いてる右手で、翔の左手を取る。

翔が、真正面から私を見下ろす。


「…わかった。やばくなったらすぐ言えよ。」


熱は、皮膚の水分も、目の水分をも蒸発させる。
カラーコンタクトが乾いて、少し翔の顔がぼやける。

「うん。」


そうして、また、翔は私の左手をしっかり握って、歩き出した。






私は、翔のほわほわ揺れる髪を見つめてから、いつもは見ることのない月を見上げる。

満月だった。








「…ずっと、このままならいいのにな。」


さっきからずっと挙動不審な私に、翔はすぐに振り向く。

「なんで?身体だるいでしょ?
 の手のひら、すげぇ、熱いよ?」



ハハッ、と思わず笑ってしまう。

「なんで笑うんだよ?
 ホラ、病院、見えてきたから。」

そうやって、つないだ左手を少し揺らして、私に知らせる。


6月の風は、温かい。




「…翔、このままがいいよ。」




彼の足が止まって、ちょっと意味のある私の言葉に耳をすます。


「手、つないでるの、幸せなの。」


翔は、少しはっとした顔をしたあと、「くすり」と笑った。
それから、ほんの少しだけ強引に、私の額を自分の胸に押し当てた。

「ごめんね、のしたいこと、なかなかできなくて。」





いいよ。

ときどきだからこそ、嬉しいんだよ。

今はそう、思っていてあげる。





満月は、少しずつ少しずつ天に昇っていく。
そのあかりの下を、私たちは、ゆっくりと歩く。





「…今度は、翔の手、熱いよ?大丈夫?」

「いいの、俺のことは心配しない!」

「あーわかった、ちゃんのさっきの言葉に照れてるんだ!」

「…ちがいますー。」

「あ、また照れた顔した!」

「ったく、この患者は世話がかかるっ!」

「っきゃぁ、ちょっと翔降ろしてよー!」

「このまま診察室までかつぎ込んでやるー!!」