それを破ったのは黒翼の少女だった。
「それは…、でも、私だけが毛布使わせて貰う方が、もっと嫌ですよ」
「なら、こうしよう」
デューノは周囲に目をやり、それに充分なスペースがあるのを確認すると、手早く服を脱ぎ始めた。何事かとセレーネが訝しみ、身を硬くするのを無視して脱ぎ終えると、大きく息を吸い込んだ。
「はぁぁあああああっ!!」
ドルガ族の青年の体からヴァートのオーラが立ち昇り、青く眩い光と化して全身を包む。視覚が闇に順応していたセレーネが耐えきれず瞳を閉じ、光が収束したのを感知して目を開くと、そこには白銀に輝く一匹のドラゴンがいた。
龍変化。オルゴス族の暗視や飛行、マルヴァ族の斬肢や神具融合同様、ドルガ族の者だけが持つ特殊能力である。一時間ほどの間と限定はされているものの、ドラゴン同様の力を発揮することが出来るのだ。もっとも、知力が低下してしまうという欠点もあるのだが。
『ちょっ、ちょっと、デューノさん?』
デューノの心に直接届く声は、“心話”の効果だった。ドラゴンに変身したために、言葉では通じないと思ってのことだろう。ややぼんやりする頭で判断し、デューノは口を開いた。
「落ちついて、セレーネ。普通に話してくれれば判るから」
久しぶりの龍形態に、やや発音に苦労しながら続ける。
「こうすれば、別に寒くなんてないから。そしたら、気兼ねなく毛布使えるだろ? ドラゴンになるのは無理することでもなんでもないし」
「……デューノさん、ずるいですよ」
「そっ、そうかな」
どもったのは、慣れない体ゆえではなかった。
「私が、こんなに嬉しいのに、デューノさんは無理をしていないなんて… ずるいです」
聞く者にとって、理解の難しい台詞だった。その言葉を発した者自身ですら、何を言っているのか判らないまま口走ったのだから、当然ではあるが。セレーネはただ、心情をストレートに伝えていた。“心話”で伝えられるよりもずっと、そのことはデューノに伝わった。
「ありがたく、使わせていただきます。でも、デューノさんにも使ってもらいますよ」
セレーネは冥土服の大部分を脱いで火の側に並べると、毛布に身を包んでドラゴンと化したデューノに歩み寄った。そして、腹ばいになっているデューノの背中に飛び乗って横たわり、その上から毛布を広げて被った。ちょうど、デューノを敷布団にする形である。
「これなら、私も無理しないで、でも、少しでもデューノさんをあったかく出来るから、問題ないでしょ?」
「う、うん。そう、だね」
オルゴスの少女が、際どい衣装で体を密着させている。意識するなという方が無理である。ドラゴンになったデューノの方が体温は高いはずだが、セレーネと密着した部分が熱く感じられた。
「ドラゴンになったデューノさんって、暖かいんですね。服が乾くまでこうして待ってれば、風邪なんて引かないで済みますね」
「う、うん。そう、だねっ?」
芸のない返事を繰り返しかけて、デューノは語尾を裏返した。カイロ代わりにされて腹が立ったわけではない。ドラゴンの姿が維持できなくなった時のことが、ふと心配になったのだ。ドラゴンの姿でいられるのは1時間程度。しかし、1時間で服が乾くかは微妙である。とすると、1時間後、本来の姿に戻った時、セレーネが今のままの状態でいるとなると…
「うーん、セレーネ?」
一瞬、逡巡しながらも、それはマズイと思いなおし、意を決したデューノへの返答は…
「……スー、スー」
寝、寝てる… デューノは微妙な脱力感を覚えた。疲れてはいるだろうし、安心してくれているのは嬉しいが、男の僕が気を回しているのに、と思わなくもない。セレーネがそのつもりなら、別にこのままでも…
ふとそんなことを思った時。
デューノは微かにそれを感じた。
すなわち、殺気。
素早く心のチャンネルを切り替え、視線をその源に…
向ける必要は無かった。
殺気は二人を取り囲むように、あたりに満ち満ちていたからだ。
木々の影に隠れているのか?
最初はそう思ったデューノだが、すぐにそれが間違いであることを悟った。周囲の木々そのものが、敵意に満ちた昏いヴァートを発している。
「しまった…」
デューノは内心、舌打ちした。
なぜ、これらの木々はこの地下に生えていたのか。
なぜ、彼らは二人を狙うのか。
その答えを知ったからだ。
彼ら、闇のヴァートを蓄積した古木が時として変化するダークエントは、普通の植物と違い、光を嫌う。ゆえに、彼らは光の代りに、新たな栄養の源を確保をせねばならない。ダークエントは、それを動物に求める存在だった。人間も例外ではなく、ドルガ族やオルゴス族は人間ではないという言い訳も通じない。
戦うしかない。そして、セレーネを寝かせたまま戦うのは、ドラゴンと化していても不可能だ。
「セレーネ、起きて」
デューノは長い首を背中に伸ばし、セレーネの肩を顎でつついた。
「ふぁ、ふぁい?」
毛布を背中に載せたまま身を起こすセレーネに、ブレスを吐きそうになりつつも、デューノはドラゴン形態で可能な限りの早口で説明する。
「どうも、敵に囲まれたみたいだ。僕の側にいると却って危ないかもしれない。とりあえず、冥土服を着て。それから、どこか安全なところに…」
言いさして、周りを見渡したデューノは言葉に詰まった。
「安全なところなんて、ありませんよ、デューノさん」
セレーネは火の近くに舞い降りると、冥土服を手早く身につけ、むしろ楽しげに微笑んだ。
「天井があるのですから、空中に逃れようとしても限度があります。かといって、来た道を帰ったところで、あの水溜りを突破できるとは思えません。そして、この先に進めば、さらなる危険が待っているはずです。だから、ここでデューノさんと一緒に戦うしかありませんよ」
「分かった。でも、出来るだけ空中にいてくれ。その方が、僕も思いっきり戦える」
頷いて、闇のドームを舞いあがるセレーネ。それが、戦いの合図となった。
白銀のドラゴンもそれに続く。そして、ダークエントすれすれに滑空し、蒼いブレスを吐く。
ゴゥーッ
ダークエントからの抵抗はほとんどなかった。空中を滑るように移動し、灼熱のブレスを吐きまくるデューノから、なんとか逃れようとよたよたと動き、お互いが密集して却って被害を大きくする有様である。一瞬、デューノは完勝を確信しかけ、そして嫌な予感に襲われセレーネを探した。脆過ぎる。ダークエントの動きはあまりに不自然だった。