銃士の戦争

●ダル物語関連の戦争

ラ・ロシェルの戦い
ダルタニャンと三銃士、ラ・ロシェルの戦いに参戦。(第2巻11章/1627)

三十年戦争1618〜1648)
フランスが直接参戦したのは1635年以降
ハプスブルク帝国軍がフランス北部へ侵攻。パリ近郊まで迫るが食い止める。(1636)
フランス軍、帝国軍にアラスで勝利。(1640)
ギーシュとラウル、ランスの戦いに初参戦、コンデ大公のもとでハプスブルク帝国軍に勝利。三十年戦争終わる。(第4巻2章/1648)

イギリス清教徒革命1642〜1649)
アトスとアラミス、スコットランドのニューカッスル近郊で清教徒軍と対戦するが、国王チャールズ1世が逮捕され投降。(第4巻27章/1647)

フロンドの乱1648〜1653)
パリ郊外シャラントンの戦いにフロンド軍として
アトス・アラミス参加。王党軍のラウルを捕虜にするが、勝利したのは王党軍。(第5巻20章)

王政復古
イギリスでクロムウェル後の覇権を巡って、モンク将軍とランバートがニューカッスルで陣を構える。
ダルタニャンとアトスがそれぞれモンクへ接触を図り、王政復古を支援。(第6巻23章/1660)

アフリカ遠征
ラウルがポーフォール公に率いられ、アフリカに遠征。ディジェリでアラビア軍に撃たれ、戦死する。(第11巻8章)

ベル・イル攻撃
フーケ逮捕にともない
ダルタニャンが国王からベル・イル接収の命を受けるが、途中で指揮権を奪われ、ベル・イルに攻撃が行われる。
反逆者として追討された
ポルトスが戦死、アラミスはスペインへ亡命する。(第11巻23章/1661)

マーストリヒトの戦い
ダルタニャンがフランス軍総司令官として、オランダ軍と戦う。フリーズ地方の戦闘の際、ダルが銃弾に倒れる。(第11巻エピローグ/1673)

●当時の軍隊

●軍隊は『王軍』と呼ばれはしていたものの、そこに王の直接支配は及んでいなかった。
陸軍の最有力者はおそらくフランス歩兵司令官で、将校の任命状を発行していたのは、王ではなくて司令官だった。

●多くの優良都市は自前の『私軍』と事実上中央の権限から独立した行政官を擁していた。

●陸軍の質は取るに足らないレベルだった。
厳格な規律は重視されておらず、組織、武器、服装、給与制度は定まっていなかった。
連隊にはおのおのの戦力にばらつきがある中隊が4つしか存在しなかった。
また、フランス兵の慣習的な身分証明は白いサッシュ(飾り帯)だったが、服の色は虹の七色を網羅している有様だった。
給与は不定期だった。

●軍内部では汚職がはびこっていた。
将校たちのあいだでは、架空の兵士名を名簿に記載する悪習があり、閲兵パレードのときだけ日雇い人に兵士を装わせ、給金の差額は将校のポケットに納まるということがごく普通に行われていた。

以上が、ルイ14世親政前の状況です。
親政後は、陸軍大臣ル・テリエ&ルーヴォア親子により陸軍改革が行われ、下記のように規律や身分もはっきりしたものに変わってきました。

●「近衛兵」は陸軍の精鋭で、戦場に出征したときは勇猛果敢に戦った。ダルタニャンらが所属していた「近衛銃士隊」はこの一部で、「灰色銃士隊」「黒色銃士隊」の二隊が存在した。
他に「近衛騎兵隊」「近衛軽騎兵隊」(以上2隊は、上流階級出身で裕福なことが条件)「近衛擲弾騎兵隊」(戦時の初陣役)「フランス騎兵隊」(近衛騎兵隊の予備軍)「第1〜第4近衛隊」「フランス近衛隊」「スイス人近衛隊」

●正規「歩兵隊」はフランス出身者から徴募された「フランス部隊」とスイス人・ドイツ人の「外国人連隊」で構成されていた。
装備は槍兵とマスケット銃兵の組み合わせであった。

●「軽騎兵」は、鎧で重装備せず、重い直刀に火打ち式ピストル・カービン銃で装備された騎馬戦闘部隊だった。

●「竜騎兵」は行軍の際は馬に乗って機動性を高めるが、戦闘時には歩兵のように徒歩で闘う機動歩兵だった。
装備はマスケット銃・ピストルに加えて斧または鋤を持っていた。

●「砲兵隊」はマスケット銃で護衛する銃手、砲を操作する砲手、地雷工兵などで構成されていた。

●ラ・ロシェルの戦い

「ラ・ロシェルの包囲戦は、ルイ十三世治下の最大の政治的事件のひとつであり、また枢機官の企てた最大の軍事計画の一つであった。」(「ダルタニャン物語」第二巻11章)
―――ご存知「三銃士」後半の主要な舞台となるフランス北西の港町、ラ・ロシェルは、宿敵イギリスの支援を受けた新教徒の牙城として登場します。

1627年7月、ラ・ロシェル近くの島、レ島にバッキンガム公が上陸。
フランス軍は攻防戦の末、11月にイギリス軍を撃退。

降伏を拒否するラ・ロシェル市をフランス軍が包囲。
港口にも1500mに及ぶ長い堤防を築いて海からの救援も断つ作戦。
国王はリシュリューを実質的な最高指揮官である副指揮官に任命。

イギリス世論が割れ救援が遅れる中、バッキンガム公暗殺。
1628年10月、多数の餓死者を出したラ・ロシェル市が降伏。

「市の外にはリシュリュー様の軍隊がいてね。この市を攻めるかどうするかきめるのは、あたしじゃなかったんだからね。毎日、みんなはイギリスの助けが来るのを願っていた。それが来て、また帰ってしまい、リシュリュー様は海岸の防壁を作った。来る日も来る日も、あたしたちは何かが起こるのを当てにしていたけど、それが何かはだれもよくは知らなかった。守りについてる兵隊たちは、城壁の上で飢えて死んでいった。(中略)そのうちに、ある晩、うちの人は帰って来なかったし、あたしにもどうなったかわかった。城壁の上で眠りこんでしまい――死んでたんだね。――みんなはうちの人を共同墓地にほうりこんだ。国王の軍勢に、守備隊がすぐに全滅してしまうだろうと悟られてはならないので、死体を城壁から捨てることもできなかったんだよ。」<「アンジェリク」第三部29章 新教徒の家より>

この敗戦後も、ラ・ロシェルの苦難は続きます。親政を行ったルイ14世が次第に宗教に圧力をかけ、新教徒の家に軍隊を入れて改宗を迫るようになります。リシュリューとの戦いの痛手から回復した、この町の裕福な新教徒たちの中にも、フランスに見切りをつけて新大陸へ渡るものが多くなります。(このあたりは小説「アンジェリク」に詳しく綴られてます)

その後もカナダやマルチック島などアメリカ大陸との交易で栄え、現在は美しい港やヨットハーバー、浜辺を持つリゾート地として有名な場所です。もちろん当時の面影をしのぶ町並みも残ってます。あのバッキンガム公が固執したレ島にも、今では橋がかけられて、歩いて行き来できるようになってます。(パリからTGVで3時間ほど。鉄人の坂井シェフ修行の地としても有名)

●参考資料

「絶対君主の時代(世界の歴史13)」 今井宏/著、河出書房新社
「ルイ14世の軍隊」 ルネ・シャトラン/著、新紀元社
「宰相リシュリュー」 小島英記/著、講談社
「VERS LA MONARCHIE ABSOLUE 1610/1661」 Larousse
「アンジェリク」 A&S.ゴロン/著、講談社

<レポート:いせざきるい/©三銃士ファンクラブ銃士倶楽部2005>

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