アトスのモデル

父はダトスとドートヴィルの領地を持つアドリアン・ド・シレーグで、祖父はベルトラン。曽祖父の代まで遡ると16世紀半ばの裕福な商人の血が混じっている、古い貴族の家柄である。
日付は定かでないが、アドリアンはトレヴィルの従妹であるデュ・ペイレ家の令嬢と結婚。

実在のアトスは、アルマン・シレーグ・ダトス・ドートヴィルという名で、1615年頃にシレーグ家の次男として、ベアルン地方オロロン川流域のソーヴテール近郊にあるアトス村で生まれた。兄はジャン。
一族はアトスとマンネイ、オートヴィルに三つの家を持っていたが、現在ではその痕跡しか見ることができない。
母方繋がりで銃士隊長トレヴィルの親戚に当たり、アラミスやポルトスとも遠縁。

彼は1640年頃銃士隊にいたが、パリのサン・シュルピス教会に1643年12月21日の死亡記録が残っている。
「国王の銃士隊員でベアルンの貴族、アルマン・アトス・ドートヴィルは、プレ・オ・クレールで死体として収容された。」
プレ・オ・クレールは当時の有名な決闘の場所であり、おそらく決闘により死亡されたと推測される。

参考文献

「ダルタニャンの生涯」(佐藤賢一/著、岩波新書)
「Sur les traces des Mousquetaires Bearnais」
「AU PAYS DES TROIS MOUSQUETAIRES」
Les trois mousquetaires / Vingt ans apres (Bibliotheque de la pleiade)」 Gilbert Sigaux/注釈・解説、,1962年Gallimard社/発行、ISBN2-07-010180-0
「世界の文豪叢書・デュマ」評論社/発行

©三銃士ファンクラブ銃士倶楽部/要訳:No.19 いせざきるい>

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