銃士の決闘

●銃士たちの決闘史

「ダルタニャン物語」に出てくる決闘エピソードを時系列で並べてみると以下の通り

●マンの町で、バカにされたと感じたダルタニャンがローシュフォール伯爵に剣を向け、ダルは周りの男たちにたたきのめされる。
(1巻1章)
●カルム・デショーで、ダルとアトス・ポルトス・アラミスが決闘を始めようとしたところ、護衛士に急襲されたので、4人で力を合わせて護衛士をやっつける。
(1巻5章)
●ダルが庭球場で会った護衛士のベルナジューに喧嘩を売られ決闘、またもや銃士対護衛士の乱闘騒ぎとなる。
(1巻6章)
●カレーにてイギリスへの渡航許可書を奪う目的でダルタニャンがワルド伯爵と剣を交え勝利。
(1巻20章)
●ダルがウィンター卿のミレディーに対する無礼な振る舞いをとがめたのを原因として、リュクサンブールの裏手でダル&三銃士がウインター卿らイギリス人一行と決闘、勝利。
(2巻1章)
●王党派・フロンド派に分かれたダル&ポルトスとアラミス&アトスが、立場の違いから、新王宮前広場で決闘。和解し、未遂に終わる。
(3巻30章)
●ロンドン郊外の隠れ家でモードントとくじ引きで選ばれたダルが決闘。途中でモードントに逃げられる。
(5巻11章)
●シャティヨン公に腹を立てたアラミスが決闘。シャラントンの戦いで敵味方に別れ、拳銃を撃ち合い、シャティヨンに勝利。
(5巻20章)
●アンリエットとの別れで傷心のバッキンガム公爵2世がワルド2世とブローニュの浜辺で決闘。相打ちに。
(8巻10章)
●ルイズの名誉を守るため、ギーシュ伯爵がワルドと拳銃を撃ち合い決闘。ギーシュが重傷を負う。
(9巻20章)

●原作に見る銃士の戦いぶり

四人四様な戦いぶりに注目!

ダルタニャンは絶えず定法を無視して、四方八方から打ちこんでくる。しかも自分の身体には、毛筋ほど触れさせまいとして、細心の注意を払っているのであった。この風変わりな剣法は、ついにさしもの豪をいら立たせてしまった。」
<第1巻5章/護衛士との乱闘>

アトスは稽古場にいるときと同じように、落ちついた太刀さばきを見せた。ポルトスは、自信過剰からシャンチイでひどい目にあったのにこりたのか、用心深く、巧みに剣を使いこなしていた。アラミスは、例の詩の第三節がまだできていないので、いそいで相手を片づけようと、やっきになっていた」
<第2巻1章/イギリス人との決闘>

『わたしは刀を抜きもしませんでした。相手が組みついて来たもんで、窓から放り出してやりました。落ちた拍子に、どうやら脚を折ったようで』(アトス談)
『わたくしは、猊下、決闘がご法度だということを存じておりますので、長椅子をつかんで悪党の一人をぶんなぐってやりました。相手は肩の骨が折れたようで」(
ポルトス談)
<第2巻13章/赤鳩亭のごろつきとの乱闘>

アラミスはこれとは正反対で、敵を殺すにつれて血に酔いしれてゆく。鋭い目がらんらんと輝き、上品な口許に不吉なうす笑いが浮かび、息づかいも荒く血の匂いを求める。一撃ごとに正確に相手を斃し、起き上がろうとする負傷者を拳銃の柄で打ちのめし、息の根を止めるのであった。」
<第5巻20章/シャラントンの戦い>

●決闘のお作法

決闘資格者は、中世では国王によって定められていましたが、17世紀の当時は上流階級、もしくは、上流意識をもつ者といった、あいまいな定義となっており、「名誉」とか「自尊心」などの精神的な意識の持ち主ならば、多少の出自は問われなかったようです。(ダルがローシュフォールに向かっていったように)
ただし、階級にうるさいイギリス人であるウィンター卿は、決闘に際してアトスの身分を問いただしたエピソードもありましたし、基本的には、同じ階級に属していることが必要ともいえます。

物語によく登場した“介添え人”って、決闘の証人なのになぜ一緒に闘っているの???―――これは、当時まだ決闘制度が完成されていなかったことに大きな原因があるようです。
「決闘そのものは個人主義の確立により、一対一で行われるのが原則であったはずだ。だが、当事者ふたりだけで、秘密の場所で、決闘をすれば、それは単なる殺人によるものか、決闘による死なのか判断がつかなくなる。したがって、決闘であることの証人として、決闘者は介添え人を同伴するのが慣例となった。ところが介添え人はそれぞれの決闘者の親しい友人である。決闘制度が完成化されていないこの時期においては、感情に左右されて介添え人も闘うことになった。」<『決闘の社会文化史』より>

―――こういう訳で、ルイ13世と14世の時代は、「三銃士」に描かれているような、介添え人も参加する集団決闘という形が普通だったといわれていて、デュマが描いた通りの様子となります。
「特にルイ13世のころは、決闘の数はすさまじく、年間の決闘による死亡者は平均8千人にのぼり、このころの日常のあいさつは『こんにちは、何かニュースでもありますか?』ではなく、『こんにちは、昨日はだれが決闘したか、ご存知ですか』であったと言われている。」<同上>

銃士たちの時代の長剣(英語でレイピア、仏語でラピエール)は長さ1m、重さ1kg前後。中世からの両刃でがっしりしたタイプのものと、細身で断面が菱形のものの二種類が主流。人差し指と中指の間に剣を挟む握り方で“突く”ように使うために、手の甲を守る『籠柄』とよばれる持ち手部分のデザインに工夫が施されていました。

●参考資料

「決闘の社会文化史」山田勝/著、1992年、北星堂
「図説西洋甲冑武器事典」三浦櫂利/著、柏書房

<レポート:いせざきるい/©三銃士ファンクラブ銃士倶楽部2005>

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