明治期の三銃士


日本での「三銃士」は、大正末期から昭和初期にかけて起こった「大衆文学」の一大ブームの中で、翻訳され、広く庶民に愛されてきました。それに先駆けて、明治期に翻訳されたのが、下記の作品。今のところその詳細は不明ですが、当時の翻訳は、登場人物に日本名を宛てることがよく行われたようですから、どんな内容なのか興味をそそります。ご存知の方は、ぜひ情報をお寄せください。

「三人銃卒(前編)」
加藤紫芳/訳、明治20年10月・読売新聞/掲載

「佛國三人男」
談州樓燕枝/訳、明治22年・中島/発行
この作品については、作者がデュマ・ペールとなっていたので、タイトルで判断しましたが、何しろ内容が全くわからないので、別の作品かもしれません。

「三銃士」
今杏西散人/訳、眉山/補訳、明治37年4月15日〜8月25日・二六新報(東京二六新聞)/掲載

この春入学した大学の図書館に行ってみたところ、「二六新報」の縮刷版があるのを発見しました! 「眉山 補訳」の三銃士、確かに載っておりました。ですが、載ってはいたものの、途中で連載を中断されています。眉山氏の病気がその理由らしく、回復を待って再開すると書かれておりましたが、図書館に置かれているそれ以降の縮刷版もすべて調べてみた限り、再開された様子はありません。氏は療養中に別の小説の筋が浮かんだらしく、快癒後はそちらのほうの連載を始めておられました(苦笑)。そういうわけで、氏の訳による「三銃士」は、ダルタニャンがイギリスへ向かうためにトレヴィル殿に休暇を求めるあたりで終わっています(あるいは、図書館にない、もっと後のものに続きが載っているのかもしれません)。
それから、登場人物の名前についてですが、いせざきさまのご指摘どおり日本名となっています。ダルタニャンは有田太郎(ありたたろう)、三銃士はそれぞれ、阿蘇(あそ)、大曾(おほそ)、荒見(あらみ)、トレヴィル殿は利根里(とねり)殿、コンスタンスは小夜、シュヴルーズ夫人は世良田(せらだ)夫人、ミラディーは宮子、などです。時間が無くてコピーを取れず、ざっと飛ばし読みをしてきただけですので、今はこれくらいしか覚えていません。<ホームページ読者
Merci!

早速コピーを送っていただいて確認したところ、「東京二六新聞」の連載小説として97回に渡って掲載されていました。特筆すべきは、第一回のタイトルが明治20年訳と同じ「三人銃卒」となっていたのに第二回目から「三銃士」と変更になっていることです。ひょっとして日本で初めて「三銃士」と訳したのは、この作品からなのかもしれません。挿絵も前半は明治の日本風洋装の人物だったのが後半は長靴に羽根飾り付きの帽子をかぶった銃士風の人物になってくるなど変化が見られて興味深いものがあります。<Louis>

参考文献:「フランス小説移入考」富田仁/著、1981年東京書籍/発行


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©三銃士ファンクラブ銃士倶楽部/レポート:No.19 いせざきるい>