ダルタニャン関連年表

「ダルタニャン物語」において、時系列でダルタニャンの行動を追ったものです。
日時が判明するものについては出来る限り押さえてみました。

1605?

ダルタニャン誕生

1625〜26

3月末〜4月始/ガスコーニュからパリへ向けて出発

4月第一日曜日/マンの町に到着。フラン・ムーニエ旅館で見知らぬ騎士に決闘を申し込み、大怪我を負い、養生のため二泊する。

4月中頃〜/パリに到着。トレヴィル邸にて銃士隊長と謁見。
三銃士と決闘、友情を結ぶ。
護衛隊を打ち負かした一件で三銃士と共に国王と謁見。
国王から下賜された金貨で従者プランシェを雇い入れる。
トレヴィルの計らいでデ・ゼッサール侯の護衛士候補生に。

7月中頃〜/ボナシューから夫人がかどわかされた件で相談を受ける。
宮廷の陰謀を三銃士に話し、四人の合言葉を宣言。
ボナシュー夫人の窮地を救い、夫人への恋を自覚。
王妃と密会するバッキンガム公爵の護衛を勤める。

9月20日/ボナシュー夫人の依頼により、ダイヤモンドの房飾りを取戻しに、三銃士とイギリスへ向かう。

10月3日/舞踏会の開かれた市役所で王妃からお礼の指輪を下賜される。
あいびきの手紙をくれたボナシュー夫人が拉致される。
(ダルタニャン20歳になったばかり)
護衛隊長カヴォアが枢機卿からの誘いを伝えるため訪問。

10月4日〜/ビカルディ街道に置いてきた三銃士を連れ戻しに行く。

10月下旬〜冬頃/国王から銃士隊入隊許可。(資格は護衛士のまま)
出陣準備。
パリでミレディに再会。
義兄のウィンター卿と決闘するが、命を助けて仲良くなる。
ミレディ邸に招待され、連日通い続ける。
ミレディの女中ケティの誘惑に応じる。
ワルドの手紙で騙して、ミレディの身体を手に入れるが、嘘がバレた上に肩の烙印を目撃してしまい、怒りを買う。

1627

4月末頃/ボナシュー夫人護送の馬車とつかの間の邂逅。
リシュリュー枢機卿から呼び出し。護衛隊に誘われるが拒否。
(パリ上京後1年の記述あるが、実際には2年経過)

5月1日/ラ・ロシェル包囲戦に銃士隊(ダルと三銃士も)出陣。

6月28日/国王発熱のためヴィロック滞在。国王付きの三銃士と別れ、進軍。

9月10日/ラ・ロシェルを眼前にした陣営に到着。
前線で命を狙われるが、無事帰還し、手柄となる。

11月/アンジューの毒ぶどう酒と共に、三銃士からを騙った偽手紙届く。
国王到着と共に、三銃士合流。

12月4日朝/サン・ジェルヴェ稜堡の戦いで大手柄。
枢機卿の進言により、銃士になる。
ミレディの動きを止め、バッキンガム暗殺を阻むため、画策。

1628

8月15日頃〜/国王の護衛で三銃士と共にサン・ジェルマンへ一時帰還。

8月23日/パリ到着。休暇をもらう。
ポーツマスでバッキンガム暗殺

8月24日夕/パリからベチューヌに出発。

8月25日〜/アラスでローシュフォールを目撃。
ボナシュー夫人に再会するも、ミレディに毒殺される。
ミレディの処刑に立ち会う。

8月30日/パリ帰還。

9月6日/パリ出発し、国王の護衛でラ・ロシェルへ。
途中、枢機卿の命によりローシュフォールに身柄拘束される。

〜9月15日頃/枢機卿と会見。ローシュフォールと仲直り。
ダルタニャン銃士隊副隊長辞令拝領。

12月23日/国王と共にパリ帰還。銃士隊副隊長就任。

1642

6月/プザンソンの包囲戦参戦中、アトスから近況報告の手紙を受け取る。

?月/チクトンヌ街の「牡鹿亭」に引っ越し。
マドレーヌに惚れられ、亭主を追い出す。

1645

?月/マドレーヌからプロポーズされたが、結婚を拒否。

1646

9月/父親が死亡。ベアルン滞在。

?月/フラッシュ・コンテに遠征し、大怪我をする。
全快後、パリに帰り、マドレーヌを巡ってスイス兵と決闘。

1647

4月/ポルトスから7ヶ月遅れで狩猟の招待状届く。

1648

?月/アラミスの依頼により決闘介添え役を引き受ける。
*この年の1月に以前・・・と回想しているので、年代については、ダルの思い違いで1〜2年前かも

1月20日/マザランの巡視の供に命じられた後、バスチーユに収監されているローシュフォールを迎えに行く。
追われていたプランシェをかくまう。
枢機卿の密命で三人の仲間に会いに行く。

4月頃/ブロワからマザランに呼び戻される。

5月中頃(聖霊降臨節前)/パリで落ち合ったポルトスと一緒に、脱獄したボーフォール公を追跡するが、アトス・アラミスに阻まれ失敗。
王宮前広場で、決闘のためアトス・アラミスと会い、仲直り。

8月20日/ランス戦勝

8月26日/ブルッセル解放の暴動に襲われたコマンジュの護衛隊に助太刀し、負傷したラウルを助ける。

8月27日/パリの民衆蜂起(フロンドの乱)
*物語上はランス戦勝の謝恩会と平行してパリ脱出の企みが進行するように読めるが、史実では4ヶ月後

1649

1月5日/国王・王太后・枢機卿のパリ脱出に協力。
マザランの命で、モードントについて渡英し、アトス・アラミスと合流。
チャールズ1世救出のため、三人の仲間とロンドンへ向かう

1月30日/チャールズ1世処刑
モードントと対決。ブローニュ経由で帰国後、ポルトスと行動し、枢機卿に反逆罪で逮捕監禁される。

〜3月11日/リュエイユの牢から脱獄し、マザランをピエールフォンへ拉致。
王太后に条約調印を促し、銃士隊長の辞令を拝領。

8月18日/国王のパリ帰還を護衛、ローシュフォールを倒す。
*史実では1652年10月21日

1660

5月中頃/(なぜか銃士隊副隊長として勤務)
ルイ14世の護衛として、ブロワ滞在中、国王がチャールズ二世およびマリー・ド・マンシーニ嬢にそれぞれ密会する現場に立ち会う。
後、国王に諫言し、銃士隊副隊長を辞す。
パリに帰り、プランシェに投資話を持ちかける。
イギリスでモンク将軍を捕まえ、オランダ亡命中のチャールズ2世の許まで連行。

5月29日/チャールズ2世ロンドン帰還(イギリス王政復古)
チャールズ2世やモンク将軍と謁見。将軍の身代金として、国王から大量の金貨を下賜。
国王からアンリエット姫を紹介され、モンクからイギリスの別荘を贈与される。

1661

3月9日/マザランが死に、ルイ14世の親政始まる
パリ・グレーヴ広場に借家を買う。
ルイ14世に召還され、ブルターニュ派遣の密命を与えられる。
ゲレーヴ広場での暴動を鎮圧。
国王からの給料受取にフーケ邸へ、ダイヤモンドの指輪ももらう。

3月?日/隠密でベル・イル視察、ポルトスと再会、ヴァンヌのアラミスに引き合わされるが、翌日アラミスに出し抜かれ、大急ぎでパリへ帰還。
銃士隊長の辞令受け取る。
オルレアン公ガストン死去の第一報を国王に伝える。
*史実では1660年2月2日

3月31日/王弟フィリップ・オルレアン公結婚
新王宮でワルドの中傷を諌め、ラウルへ謝罪させる。
アラミスを捜すベーズモーが相談に来る。

5月15日〜22日/フォンテーヌブローの祝宴中、休暇を取り、ポルトスと共にプランシェの別荘へ行き、アラミスを目撃。
ポルトスの国王拝謁をお膳立てし、アラミスと話し合うも決別。
ロシャンの森で起きたギーシュの事故について王命により検分。

5月下旬〜/シャイヨの修道院へ向かうルイズを案内。*史実では1669年

8月?日/帰国したラウルからルイズの消息を尋ねられる。

8月11日/ラ・フェール伯爵を逮捕するが、国王と交渉し、即釈放に。
ポルトスの決闘仲介し、ベルスランの店を紹介。

8月17日/ムランで足止めされた国王の意に従い、ヴォーの祝宴に送り届ける。
ヴォーでアラミスと再会。国王の命でフーケを監視。

8月18日/国王の命でフーケ釈放。
アラミス・ポルトスの逃亡を(知らずに)見送る。
にせの国王を見抜き、逮捕。

8月下旬〜/フィリップを護送したサント・マルグリット島でアトス父子と遭遇。

9月5日/宮廷に召還、ナントでフーケを追跡し逮捕。
ベル・イール・アン・メールとその領地接収を命じられ、アラミス・ポルトスを助けようと画策するも、国王に裏をかかれて失敗。
ナントに戻り、銃士を辞そうとした矢先に国王の許に連行される。
ポルトスの弔問にピエールフォンへ、その知らせにブラジュロンヌに行き、アトスの死も知る。
墓所でラ・ヴァリエールに会い、ラウルの言葉を伝える。

1662〜

フーケの護送でピニョルへ。

1665

10月?/ピニョルから帰還し、ロワール地方で国王の鷹狩に参加。
アトスらの墓所でアラミスと再会。

1667

オランダ遠征。

1668〜

?月/コルベールから届けられた元帥杖に手を伸ばし、銃撃され死亡。*史実では1673年6月25日

<レポート:いせざきるい/©三銃士ファンクラブ銃士倶楽部2008>

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