(99.2.26)

南吉文学散歩コース

岩滑4kmコース

平成7年の健康フェアのとき、岩滑コースの地図はあったのですが、 平成9年の健康フェアのときには見ありませんでした。 取りやめになったのかと思ってたところ、平成10年になってようやく完成したようです。 3月15日には記念のウオーキング大会も行われました。 予算の関係で一度にはできないのでしょうね。

Yanabemap

次の南吉文学散歩コースも参照して下さい。


南吉文学散歩コース

Nankichimap 常福院
八幡神社
光連寺

新美南吉に関しては、新美南吉記念館を 参考にして下さい。

私は子供のころ、南吉や賢治の有名な童話はほとんど読んでいますが、現在印象に残っているのは、 小説 良寛物語「手まりと鉢の子」です。もっともこれが南吉の作品と知ったのはごく最近のことです。

それに愛読していた童話はむしろ巌谷小波の作品でした。

それでは徒歩一日コースというのに行ってみようと思います。
コースの前半は岩滑4kmコースと殆ど同じです。 (岩滑小学校、旧墓地、はなれの家、ごんごろ緑地が余分に入っています) 従って、 コースの順序は岩滑コースに合わせたため、パンフレットの順番とは違うところがあります。 (( )内がパンフレットの番号です)

    スタートは
  1. 新美南吉記念館です。

    岩滑4kmコースに沿って行くことにします。 岩滑小学校の横を通り過ぎたところで、コースは右折するようになっていますが、 ここを左折してすぐ

  2. 岩滑小学校です。
    門のすぐ右手に南吉の落葉の碑があって、その後ろに大きなうきゅう(ナンキンハゼ)が立っています。

    私がうきゅうの下をゆくと
    金貨でもくれるように
    黄い葉を2枚落としてよこす
    さて私はこの金貨で手ぶくろを一そろい買って
    なつかしい童話のきつねに
    持っていってあげよう

    さて岩滑コースに戻って進みます。
    大通りに出る手前で右折するのですが、案内標識が見あたりません。 前回(H10.3.15)は大勢で歩いていたためか気がつきませんでした。
    すぐに左折してニューコーポ半田一番館の横を通り、突き当たってまた左折するのですが、 ここでも案内標識は見あたりません。

    左折してからすぐ右手に岩滑コミュニティセンターが見えます。この奥に

  3. 旧墓地があります。
    ただし木の葉にさえぎられてうっかりしているとみのがします。気をつけましょう。

    元に戻ります。碧南半田常滑線を横断歩道で渡ってしばらく行くと

  4. 光連寺です。

    その先を右折して、次に左折して

  5. 常福院(11)に向かいます。

    その前に

  6. はなれの家(10)の案内板が立っています。
    家は伊勢湾台風で倒壊してしまったそうです。

    常福院の隣には

  7. 八幡神社(8)があって

    ここのの境内を突っ切って外にでると、

  8. 南吉生家(5)につきます。
    左が継母志んの店下駄屋で、左が父多蔵の畳屋です。
    「家」、「雀」、「狐」、「父」、「アブジのくに」、「天狗」などに登場します。
    また、昭和18年(1943)病気をこらえて、ここで「狐」、「小さい太郎の悲しみ」、「いぼ」などを 書いています。なお、同年3月22日永眠しました。

    南吉生家の左側には

  9. 「新美南吉生い立ちの地」碑(6)があります。

    また、家の前には

  10. 常夜灯(7)が建っています。

    看板には文化5年(1808)と書いてありますが、建立の年でしょうか。(文化5年といえば半田の 酢造り経営が始まった年ですね。
    左側には電柱が立っていてここから電線が引き込んであります。便利になったものですね。

    少し戻ると名古屋半田線にでますから、これをもう少し北上すると高田橋で、 道の向こう側にあるのが

  11. ごんごろ緑地(9)です。
    碑にはごんごろ鐘の中の一節が書いてあります。
    西の谷も 東の谷も 北の谷も 南の谷も
    鳴るぞや ほれあちらの村も
    あちらの村も 鳴るぞや
    手前にあるのは英文の碑です。

  12. ででむし広場を過ぎて

  13. 矢勝川沿いに進みます。
    少し行くと岩滑西橋があります。

    この橋は永禄3年(1560)桶狭間の合戦の折、家康が阿久比に住む生母於大の方を訪れたときにここを渡ったと 言われています。村人達から「お殿橋」と呼ばれ親しまれていたそうです。
    なお、現在の橋は昭和53年(1978)3月完成となっていました。

    岩滑4kmコースは矢勝川の支流に架かる東橋を渡り、 しばらく行ってから、左折し、続いて右折し、次に左折してゴールに向かいます。

    県道265,碧南半田常滑線を西方に進むと岩滑西町の交差点があって、そこに

  14. しんたのむねの案内板があります。
    ここから先が岩滑新田ということでしょうか。

    更に進んで、知多半島道路の上を越えてすぐ南吉養家の大きな案内看板があります。 この先は案内板に従って行けばよいのですが、見落さないよう注意して下さい。
    途中右手に神明社があります。4月中旬の土・日曜日の祭礼には 岩滑新田地区の山車2台が曳き出されます。

    しんたのむねをスキップするつもりなら、先ほど右折した後そのまま真っ直ぐ進んだ方が良いかと思います。 やがて右手に平成橋が見えます。(もし矢勝川沿いに雑草茂る道を強引に進むと弘法橋があって、 次が平成橋ですからそこで左折します)更に進んで、知多半島道路の下のトンネルをくぐり抜け、 2本目の道を左折して行けば、左手に

  15. 南吉養家が見えます。

    養家の隣に墓碑銘があります。

    この石の上をすぎる小鳥たち
    しばしここに翼をやすめよ
    家の向こう側には資料室がありますが、錠が掛かっています。私はこれまでのイベントの折りに 何度か見ていますから、今日のところは外から見るだけにします。

  16. 半田池

    以下 こちらを参照して下さい。

  17. 日本庭園
    博物館の裏手にある日本庭園には、南吉の句碑(左)があります。
    大正15年(1926)、小学校卒業の時、この句を入れた答辞を読んだものです。

    たんぽぽの いく日ふまれて けふの花

    日本庭園には鈴木花簑の句碑(右)もあります。
    花簑は高浜虚子の弟子で、明治14年(1881)に半田で生まれました、昭和17年(1942)碧南にて没。

    翅立てて 鴎の乗りし 春の浪


新美南吉記念館
南吉記念館は平成6年(1994)6月5日開館しました。隣接して童話の森散歩コース(500m)もあります。

展示室には、自筆原稿や関係の図書、日記、手紙などの資料を通して、南吉の生涯と文学活動を紹介しています。 また「ごん狐」などの代表作のジオラマやビデオシアター・視聴覚コーナーの番組を通して南吉文学の 世界に触れることができます。

図書閲覧室には南吉の全集や絵本のほか、研究書や日本の児童文学に関する文献、 郷土資料などが集められています。

ホームページはこちらです。

新美南吉記念館パンフレットより


甲城山常福院
永禄2年(1559)の創立です。開基は元岩滑城主の中山刊部大輔勝時が城跡に自らの菩提寺として 建立したと伝えられています。

境内には貝塚や半田市指定文化財のソテツがあります。このソテツは中山氏が寄進したものと伝えられています。
[ひよりげた」、「塀」等に登場します。


八幡神社
祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、多岐津姫命(たきつひめのみこと)、 多紀理姫命(たきりひめのみこと)です。
例祭日は4月5,6日ですが、最近は4月中旬の土・日曜日に行われます。
祭礼当日は岩滑地区の山車、 2台が曳き出されます。

なお、ここには八幡車と御福車のサヤが仲良く並んでいます。
「狐」に登場します。


尚英山光連寺
光連寺は文亀2年(1502)明光坊と称する草庵として設立されました。
寛永3年(1626)浄賢法師のとき大野村光明寺境内に移し、貞享元年(1684)9月次の玄良は光連寺と改称しました。
11世善解のとき、現在地にある安明寺に後継者のないことを聞き、譲渡を受け、 明治24年(1881)3月12世善明のときここに移りました。

南吉は子供の頃、この寺でお経を習ったそうです。
「百姓の足、坊さんの足」、「ごんごろ鐘」等に登場します。


巌谷小波
明治3年(1870)6月6日生、昭和8年(1933)9月3日没
小栗風葉と同時代の作家で、 明治20年(1887)に紅葉の硯友社に入社しています。

雁宿公園の「明治天皇駐蹕(チュウヒツ)碑」のある 丘の麓に昭和11年(1936)11月建立の巌谷小波句碑があります。

 「桜紅葉いまは御旗の色まして」 小波

この句は半田、成岩の俳人3人が小波を雁宿公園に案内した折りに詠まれたもので、 小波の没後追悼のために建てられたものであろうと言われています。
実のところこの碑のあることは、勿論知っていたのですが、一体なんの碑なのかさっぱり分からなかったので、 雁宿公園のところにはあえて書かなかったのです。最近調べたところ小波句碑とわかったので、 ここに記載しておきます。


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