(99.3.18)
亀崎2kmコース 亀崎5・8kmコース
駅の前の道を上がって行くと左手に線路をまたぐ
2kmコースの方はここで右折し、国道に出る手前で左折して、もう少し先で右折し、 国道366号を歩道橋で越えて行きます。すぐ先に、
そこを右折してすぐ左折した先が
なお、亀崎小学校を過ぎ、すぐ右折してしばらく行くと知多四国の番外札所 東光寺があります。
しばらく進むと
ここにはちょっとした遊園地の他、忠魂碑、亀崎城跡の石碑、神宮遙拝所の石碑などがあります。
神宮遙拝所なるところに草を分けて行ってみましたが、もちろん神宮など見ることはできません。
昔は見えたんでしょうね。
危なっかしい石段を降りると神前神社の拝殿です。なお石段の上からは良い眺望が楽しめます。 もう一度石段を降りると国道247号、その向こうが海浜公園です。
コースは国道から分岐した手前の道を行きます。道沿いに
更に
田中組のサヤの向こうに狭い路地がありますから、そこを入ると右手に
更に進むと
このさきで元の道に戻り、信号を越えて次ぎの角を右折すると
ここを左折して行くと指導標は左折するようになっていますが、これは正規に
出発点に戻るには右折しなければなりません。そのまま進むと
しばらく進むと
この先しばらく七本木池を右に見て進み、
広い道(県道261号)に出たところで信号を渡り、左方の道に入って行きます。
なお、5kmコースの方は曲がらないで池沿いに真っ直ぐ進みます。
また、この道は乙川コースと重なっているため、間違えないようにしましょう。
しばらく進むと前方に
コースは池の手前で左折し(乙川コースは池沿いに進みます、ただし方向は逆)、すぐ右折して、
右に横川池、左に横川公園を見て進みます。
横川池を離れるとすぐ、七本木池にぶつかります。
七本木池ではモニュメント「空へ」を見ることができます。
ここで一応5kmコースと合体しますが、5kmコースは道路の右側、 8kmコースは道路の左側を通ることになります。
七本木池にぶつかったところで左折し、信号を渡って右折して、
しばらく上池沿いにカモを見ながら(もしいれば)進みます。
ここはまた、有脇コースとも重なっています。
上池を離れて、今度は半田東高校を左に見てしばらく行くと、ちょっとした階段があります。
この階段を登ってくるのが有脇コースですが、こちらは階段を降りずに左側の道にはいります。
この先、V字形に折れて広い道(県道40号)を進み、東生見町の信号を越えてすぐに
写真は丘の上から福祉大学の方を眺めたところです。
墓地の方は、最初行ったときのことを思うと大分増えてますが、まだ余裕があるようです。
(平成12年1月現在)
この後は一路亀崎駅へと向かいます。
えっなにちょっと短かすぎるって、そうです8kmコースはこの後
2kmコースと重なっているのです。
あと、5kmコースが少し残っているのですが、その内追加することにします。
浄顕寺の前身には二つの説があります。
蓮如上人
応永22年(1415)存如上人の長男として生まれる。
長禄元年(1457)本願寺住職となる。
寛政6年(1465)大谷の本願寺が比叡山の衆徒によって破却される。
文明3年〜7年(1471〜1475)城前吉崎に坊舎を建て、独創的な教化を展開する。
文明14年(1482)松林山本願寺再興
延徳元年(1489)隠居
明応8年(1499)85歳の生涯を閉じる。
今年(平成10年)は500回忌でいろいろな行事が行われるようです。
血判阿弥陀如来絵像
元亀元年(1570)から天正8年(1580)までの石山合戦の際に作られた血判状です。
阿弥陀如来絵像の裏や上に盟約を示す宗徒の署名血判が押されているもので、
血判状の代表的なものとされています。
絵像の裏には武士と思われる「佐田五郎二郎」の名が農民と思われる人名の中にまじり、
武士も参加したのではないかと推察されます。
「瀬田町衆」「八幡町衆」の文字も判読され、また「南蔵坊禰宜」の文字も見られ、
いろいろな階層が一致して一揆に参加したことがうかがえます。
近江の長浜付近のもので、浄顕寺第5世「林正」が本願寺教如上人から授けられたと言われます。
昭和41年(1966)3月、半田市有形文化財に指定されました。
嘉永2年(1849)山本道庵によって、浄顕寺境内に創建されました。| ホームページ |