(99.3.18)

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亀宝山東光寺
明治33年(1900)開山実空誠感上人によって説教所として創設されました。
その後明治36年(1903)に和歌山県海草郡にあった東光寺より寺号本尊を移し創建されました。
ここには年弘法といわれる、弘法大師ご生誕からご入定までの各お歳毎のお姿の木造があります。 62体ありましたが一部地震のため損壊し、現在は45体が安置されています。
また3躰弘法大師といって、厄除大師、日限大師、衆生済度大師の3体の身の丈6尺の 木造大師像もあります。


林正山浄顕寺
浄顕寺の前身には二つの説があります。 宝物として血判阿弥陀如来絵像二幅があります。
その他蓮如上人自作木像もあるようです。

蓮如上人
応永22年(1415)存如上人の長男として生まれる。
長禄元年(1457)本願寺住職となる。
寛政6年(1465)大谷の本願寺が比叡山の衆徒によって破却される。
文明3年〜7年(1471〜1475)城前吉崎に坊舎を建て、独創的な教化を展開する。
文明14年(1482)松林山本願寺再興
延徳元年(1489)隠居
明応8年(1499)85歳の生涯を閉じる。
今年(平成10年)は500回忌でいろいろな行事が行われるようです。

血判阿弥陀如来絵像
元亀元年(1570)から天正8年(1580)までの石山合戦の際に作られた血判状です。
阿弥陀如来絵像の裏や上に盟約を示す宗徒の署名血判が押されているもので、 血判状の代表的なものとされています。
絵像の裏には武士と思われる「佐田五郎二郎」の名が農民と思われる人名の中にまじり、 武士も参加したのではないかと推察されます。
「瀬田町衆」「八幡町衆」の文字も判読され、また「南蔵坊禰宜」の文字も見られ、 いろいろな階層が一致して一揆に参加したことがうかがえます。
近江の長浜付近のもので、浄顕寺第5世「林正」が本願寺教如上人から授けられたと言われます。
昭和41年(1966)3月、半田市有形文化財に指定されました。


教光山来教寺
浄顕寺のところで述べたように、浄顕寺が現在地に移転した後、浄顕寺の阿弥陀堂となりました。
その後大破し一時墓地となっていましたが、天保9年(1838)再建され、明治9年(1876)成岩無量寿寺の 教光坊を合併して独立しました。


鈴木山鶴城寺
嘉永2年(1849)山本道庵によって、浄顕寺境内に創建されました。
その後、明治15年(1882)現在地に移転しました。
ここには蓮如上人の網掛のご名号が安置されています。これは上人が三河国から尾張国にご巡化の折り、 手元不如意のため船賃がなく、船頭にご自身の名号をお書きになって渡したものと伝えられています。


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