(98.7.27)

任坊山4kmコース 花園4kmコース 青山2kmコース
任坊山4kmコース(00.8.7) 花園4kmコース(00.7.24)

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任坊山4kmコース


花園4kmコース


青山2kmコース

スタートは花園4kmコースと同じです。
青山3丁目の交差点の一つ手前の道を右にはいるとすぐ
知多半島中部キリスト教会の建物が目にはいります。
この教会は、昭和32年(1957)大信紡績に、九州地区から就職した人の中で、キリスト教を 信仰していた人々が集まって集会を開いたのが始まりだそうです。その後昭和51年(1976) 現在の名称になりました。

しばらく行くと山本公園です。
更に進んで上り坂の途中で右折するのですが標識が見あたりません、少し向こうに 青山小学校が見えますからそこを目印にして下さい。小学校の正面を通ってすぐ 花園4kmコースの道と出会います。ただし前は下の道を行ったのですが、 こちらは上の道を歩いて、途中で下に降ります。以下同様・・・・・


超世院
長享2年(1488)月慶宗但上人により開創されました。
当院は赤い薬医門を有しているところから、通称「あかもんさん」と呼ばれ親しまれています。 この赤門は、昭和28年(1953)13号台風で倒壊しましたが、翌年には再建されました。
遺浄院
開基は乙川法蔵院の開基でもある分川玄波和尚で、天正2年(1574)のこととされています。
当院の何代目かの住職(約200年前)隆諦和尚は、災火にあった本堂と庫裡の残材を用いて 神戸川に橋をかけました、それは竜台橋と呼ばれ、橋は新しく架け変わりましたが新成岩橋の 一つ上流側に現在も架かっています。
なお、平成7年3月に本堂再建されました。

来迎院
元和2年(1616)本坊第十世空山惣本上人が「光陽軒」の名の元に隠居所として開創しました。
文化4年(1807)に来迎院と改称されました。

真如院
常楽寺第十四世弘空暦道上人玄敬大和尚が寛永5年(1628)に開山したと伝えられています。
当初「勤養庵」と称していましたが、文化4年(1807)に真如院と改称されました。
なお、平成10年5月15日に本堂再建されました。

仏性寺
常楽寺の前身は天台宗仏性寺であると言われています。
仏性寺の創建に関してはいろいろな説がありますが、天平20年( 748)というのが最も確からしいと 言われています。
それは鳳出観音境内に

仏性寺開山
行基菩薩廟塔
天平20年2月2日
と記された廟塔のあることから分かります。
また現在地より西北500米の場所にあって、広大な寺域を有していたとも言われています。
なお、仏性寺にあった仏像は後述の西薬師教会鳳出観音堂に残されています。

常楽寺の門前を出て左側に
西薬師教会があります。
ここは常楽寺開創約80年後、常楽寺前身の仏性寺の一堂であった薬師堂を、 信者一同が迎えて祀ったことに始まります。
堂内には本尊薬師如来座像のほか大日如来座像、聖(しょう)観世音菩薩立像の三体が祀られ、 いずれも藤原中期の作と言われ立派な仏像ばかりです。

半田地方には全部で7体以上の藤原仏の存在が知られています。
コースからははずれますが常楽寺の南東500米の高台に
鳳出観音堂があります。
ここにも十一面観世音菩薩立像、毘沙門天立像の藤原仏があります。

注:ここに挙げた藤原仏はすべて博物館 に写真又は複製が展示されています。


児宮、春日神社
児宮の祭神は少子部連栖軽(ちひさこべのむらじすがる)神、 春日神社の祭神は武甕槌(たけみかづち)神です。
雄略天皇の6年( 462)、天皇は養蚕を広めようと考え臣下の栖軽に蚕(こ)を集めるよう 命じたのですが、間違えて児(こ)を集めてきたので、天皇は大変興がられ、栖軽に 少子部連の姓を与え大切に育てさせました。死後、児を守る神として祀られたものです。
余談ですが、元号というものは当時はまだなかったようです。最初の元号は大化(645-650) だそうです。
以前は名古屋市栄の朝日神社の境内に、児宮が子供の守り神としてあったのですが、 境内縮小のため昭和2年(1927)秋、当地に移されました。
なお、ここには半田市指定保存樹木のクスノキがあります。


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