(99.6.12)(99.11.26)
寺伝によれば、天台宗開祖伝教大師が、北沢から兎がくわえてきた仏像を胎内佛とした、 阿弥陀如来を本尊として造営した。「卯の山」の由来ともなっている。更に進んで、知多半島道路を卯坂4号橋で越えてすぐ先のT字路で右折します。「阿久比の昔話」より
公園のところで右折して、すぐ左折して行けば右手に
芳池川を鞠子橋で渡ると正面が草木小学校ですが、コースは右折して進み、
西尾知多線の草木信号を越えて、草木川を昭和橋で渡るとすぐ
愛知梅花33観音の18番、東海49薬師霊場の47番
長松山正盛院
寺伝によれば当山は、三河国宝飯郡八幡村(今の豊川市八幡町)西明寺四世快翁(かいおう)龍喜大和尚によって、 天文13年(1544)に創建された曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦牟尼佛である。
「張州府誌」には「在草木村、号高根山、曹洞宗属三州八幡村西明寺、伝言天文19年(1550) 水野忠政女栄信正盛尼(次女阿辧の方、於大の方の姉)創建之、故為寺号、牌蔵 、 日栄信正盛禅尼、元亀元年(1570)4月25日卒」とある。
正盛院の創建と同時に、宝伝山竜光寺、青泰山浄土寺が末寺になったと言われている。
明治初期の廃佛毀釈のため宝伝山竜光寺は明治15年(1882)本寺正盛院に合併された。 この時宝暦2年(1752)の建造になる竜光寺の仁王門も正盛院に移された。
仁王像は室町初期の作と言われ、仁王門と共に町指定の文化財となっている。
なお、青泰山浄土寺は南知多豊浜小佐に寺号を移された。
境内墓地には明治・大正期の政治家後藤新平の妻、多加子の墓がある。案内標識による
仁王門由来記
仁王門は竜光寺徹翁円柱和尚の代宝暦2年(1752)正月29日上棟、切妻造本瓦葺、 鬼瓦は桐紋屋根裾に魔除けの獅子、建材は松、桧、栃、役柱は一本の梅材で建てられたと伝えられる。
明治15年(1882)竜光寺廃寺、正盛院に合併移築、その折、村人多数に運ばれた実話がある。
大正9年(1920)大工松山萬太郎一部修理、以来六十星霜を経て昭和55年(1980)1月1日阿久比町より 文化財第1号の指定を受ける。 これを契機に檀信徒、字民各位の協力を仰ぎ解体大修理の結果当初の原形を維持する。仁王像
仁王像は宝暦2年(1752)京都より御下り、大佛師八郎兵衛、吉兵衛により修復、開眼供養し、 又足束に永治3年の記録もある。鑑定によれば、姿、形、手足は平安時代、顔、背中の肉付き、 衣の裾等は鎌倉期の刻風があり、平安期の像風を取り入れた平安初期の作と推定される。
昭和56年7月10日阿久比町文化財第4号指定。説明碑による
正盛院から300mほど行って74段の石段を登ると
八幡神社の祭神は応神天皇と神功皇后、創建は康正元年(1455)、再建は永禄年(1559)です。
大山祇命の山神社も合祀されているようですが、祠は見あたりませんでした。
境内には愛知県緑化推進委員会指定のあいちの名木ヤマモモがあります。
ここにも土地改良碑(平成9年4月)が建ってました。
それから400mほどで右手に草木蓮池配水場、正面に草木グランドが見えますから、 ここで左折します。
平成12年の花かつみ園はこちらです。
後は工事中です。
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