(00.1.1)

業葉神社(通称八幡さん)

半田市誌によると次のようになっています。

祭神 仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、田心姫命、滝津姫命、市杵島姫命
例祭 4月15、16日
社伝によれば、当神社は山城国男山八幡宮を勧請し、古来より八幡宮と尊称していたが、 神宝の古面裏書に「業葉天神」と記されていたことから、本国神名帳にある従三位業葉天神 であることを知り、天保8(1837)年11月、官許を得て改称した。

このことは、当神社の所蔵する棟札からもうかがえる。すなわち、寛文3(1663)年 から文化12(1815)年までの10枚の棟札には、「八幡宮」とあり、天保10 (1839)年以降の棟札には、「業葉神社」とある。
明治5年に「村社は一村一社に限る」との達により、無格社となったが(住吉神社が 村社となった)明治15年村社に列せられた。

右の写真は玉垣の一部で、私の還暦祝いです。

最近斐芽の祠(ひめのほこら)(力石)というのが設置されました。今まで別の場所にあったのですが、 目立つ場所に置き換えられて立派なお社に安置されました。

斐芽の祠
 子安(子供の健康)
 子宝(子宝に恵まれるように)
 安産(子供が丈夫で生まれるように)
江戸の大相撲が巡業でこちらへきたとき、関取がどこからか大石を背負って業葉神社の境内、 戌亥(北西)のところに奉納し、私は力持ちです子供たちに石をなでて健康に育つようにと、 神に祈願して去ったのが、子牛ほどもあるこの力石である。いつ頃のことだか分からないが、 明治よりずっと前のことらしい。このどっしりしていた力石も、社務所の増改築のときに 拝殿の西に立て、昔とは姿が変わり、母体の根本が現れ、安産にも霊験あらかたともいわれるようになった。 明治から昭和の初期までにはこの石をなでたり、腰をかけたりして立派に育った子供も 数多くあったことだろう。
ここに斐芽の祠を建てお祀りした。上へ上がって石をなでてあらたかな御神徳をいただいて下さい。
 平成10年6月

案内標識より