(97.09.19)

山王車 唐子車 祝鳩車
他地区の山車

護王車

護王車の由来

護王車は下半田南組の祭車で、名称の由来は前檀彫物の故事によります。
即ち古い文書によると、明治14年3月15日当時南組の所有していた恵比寿大黒 二福神の祭車を布土上組に金一千円也で譲ったと記されていますが、 この祭車の前檀彫物は、諏訪和四郎の刻によるもので、古い昔中国の漢の護王 (玄宗皇帝とも言われている)という人が、夢に見た話を現したもので、そこから 護王車と名づけられていました。

現在の南組祭車は、明治41年(1908)2月阿久比村の堂宮大工江原新助が建造したもので、 これにも、初代彫常(新美常次郎)が寝食を忘れ、精根こめて刻した同様な前檀彫物 を有しており、同じく護王車と名づけられています。

代表彫刻

力神初代彫常作
檀箱:護王の夢物語初代彫常作

護王の夢物語とは、須佐男命鐘道大神が鬼を萬里の外に追い出し、福を村の中に 招き入れたというものです。

脇障子:児島高徳と
 新田義貞の有名場面
初代彫常作
蹴込み:一笑の図二代目彫常(新美茂登司)作

一笑の図は、二代目彫常が一年有余の歳月をかけて刻した、精緻な彫刻で昭和56年 4月に完成したものです。ここには、竹の下に小犬の遊ぶ情景が現されており、 笑の字に似ているところから、一笑の図と命名されました。
また、一笑(生)ニコニコと円満に過ごすということも意味しているそうです。

代表装飾物

水引:花色羅紗地に
 鶴の群舞
織田杏斎の下絵
鳥毛:赫熊の毛
追幕:五色の几帳 尾張藩より受領したものと
言われている
前檀:巫女舞人形 大正7年
6代目玉屋庄兵衛作

小栗英夫さんに資料を提供して戴きました

彫常さん

 彫常こと新美常次郎は、明治9年(1876)6月10日半田村の船大工伝蔵の次男として 生まれました。14歳で名古屋の彫物師早瀬長兵衛に師事し、京都東本願寺改築では 師に代って腕をふるいました。
また研究熱心は人一倍で北海道から九州まで、全国各地の神社仏閣の装飾彫刻を求め巡り 修練を積みました。
故郷半田で亀崎の山車の修理に従事したとき、豪放にして華麗な立川和四郎の山車装飾彫刻に 接し彫刻師として開眼しました。知多地方の優れた山車彫刻の多くは何らかの形で彼の手が かかっていると言われています。
彼の作品は山車彫刻のみでなく、長野善光寺、福井永平寺などの名刹建造物にも及んで います。
彫常の信念は「死ぬまで修行」であって、そのとおり最後まで仕事を続け昭和31年(1956) 81才の天寿を全うしました。

MY TOWN 半田 より

 二代目彫常こと新美茂登司は、初代彫常からの技と精神を継ぎ70年余りにわたり半田の 「生きる文化財」として活躍されていましたが、平成8年惜しくも亡くなりました。

南組護王会

 伝承される祭礼の継承に協力することを目的として、昭和61年に、南組祭礼経験者、 南区在住者・出身者をもって構成する護王会が結成されました。

山王車 唐子車 祝鳩車

山王車

山王車の山王は、恐らく三皇で中国の故事にならい、業葉神社 の祭神、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后を三皇にみたてたものであろう。
下半田の祭礼は18世紀頃から山車3輌を曳いていたが、 (山之神社の項参照)大正9年(1920)に 岩滑新田平井組の山車を買請け東組として祭礼に参加、これにより下半田の山車は4輌となった。 しかしこの山車は大正13年に南知多町師崎大井浜組へ売却し、大正14年(1925)に新造した。

檀箱力神と王処仙人穏栖初代彫常作
脇障子源為朝初代彫常作
前山蟇股龍と仙人初代彫常作
蹴込竹に虎二代目彫常作
台輪木鼻
大幕緋羅紗地に金甲仙人
費張房仙人
蘆敖仙人の刺繍
水引緑地に松鷹の刺繍下絵は金鉋
追幕緋羅紗地に東雲桜と
橋の刺繍
前山人形摩振り七代目玉屋庄兵衛作

護王車 唐子車 祝鳩車

唐子車

唐子車の名は檀箱に彫られた唐子の彫刻によるものであるが、北が「子」の方角であることも 関連付けられる。
現在の山車は天保8年(1837)に大改造がなされたと言われている。

檀箱唐子遊び立川常蔵昌敬作
脇障子手長足長立川常蔵昌敬作
蹴込獅子に牡丹彫常一門の作
大幕緋羅紗地に猩猩
瓢箪から駒の金刺繍
水引青羅紗地に「群鳩飛翔」
の刺繍
下絵は松村景文
前棚人形三番叟
(先代の人形は
七代目玉屋庄兵衛作
隅田仁兵衛真守作)
上山人形唐子遊び隅田仁兵衛真守作

立川常蔵昌敬(まさよし)

立川常蔵昌敬は享和2年(1802)現長野県諏訪市湯小路に生まれ、諏訪の住人立川和四郎富昌の 弟子となり、後富昌の娘婿となった。唐子車の彫刻は天保9年(1838)、37歳のときの 作品である。

護王車 山王車 祝鳩車

祝鳩車

祝鳩車は現在判明しているだけで、安政年間(1854-1859) 明治5年(1872)と改造を繰り返したが、 大正始めに他へ譲渡し、大正3年(1914)8月に新造した。
祝鳩車の名は前山懸魚並びに桁隠しの彫刻と、水引の図柄「昇鳩降鳩」による。

檀箱天の岩戸初代彫常作
脇障子神武東征初代彫常作
蹴込、持送り波に千鳥初代彫常作
前山懸魚昇鳩降鳩初代彫常作
大幕緋羅紗の表布に金糸・
銀糸・白撚糸による
波の刺繍
下絵は池上秀畝
水引濃緑地に千鳥の刺繍下絵は池上秀畝
追幕緋羅紗地に
蘭陵王と火焔太鼓の刺繍
前棚人形太平楽六代目玉屋庄兵衛作
上山人形蘭陵王七代目玉屋庄兵衛作

祝鳩車の彫刻はすべて彫常一門によるものであり、最も統一された構成美をもった、 彫常の代表作の一つといわれる。特に檀箱の「天の岩戸」の両脇の天之鈿命と思兼命との対比は 支柱的構成として美しく、彫常の前期の作品として傑作の一つである。

護王車 山王車 唐子車

尾張の山車祭りもご覧下さい。
こちらも参照して下さい。

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