
この旅行記は、2000年3月頃、私がある社内誌に書いたものを、加筆したものです
この旅行の発端は、1999年も終わりに近い日、次女の次の一言であった。
「結婚したら、家族で一緒に旅行出来ないかもしれないし、私もう一度、中国に行きたい。」
私も中国の「万里の長城」には、行ってみたいと思っていたので、家族全員一致で、スンナリ決まった。
数誌の旅行雑誌の中に、北京三泊、上海一泊の五日間で、機内食も含め、食事が全て付いて、一人49.800円のパックツァ−があった。
次女が、2年前語学研修のため、北京に行った航空便と同じであったが、その時は、往復の航空運賃だけで、60.000円くらい掛かったはずだ。
全食事が付いて、50.000円を切る激安ツァ−、大丈夫か?と、少し不安が無いとは言えないが、「ままよ、何とかなるさ。」とこのツァ−に決定。
年末ぎりぎりになって、日程を中国の春節(旧正月)を避けて、2月18日〜2月22日の5日間で予約を入れた。
1月の終わり頃、ビザを取ってもらうため、パスポ−トを旅行社に送る。
いよいよ出発の日(2月18日)、午前10時に自宅を出て、名古屋から近鉄特急で、大阪の難波まで行った。難波の地下街で昼食を取る。混んでいて、時間が掛かり、関西空港での集合時間に、15分ほど遅れそうだ。長女が旅行社に電話する。関空に14時30分到着。
出国手続は、個別ビザのため、各自が出国カ−ド及び帰国カ−ドに記入し、中国東方航空の受付カウンタ−に、旅行カバンを預ける。
出国検査のゲ−トで、ブザ−が鳴り身体検査をされる。ベルトの金具とタバコ(マリファナ検査機?)が原因らしい。このあと、北京、上海とゲ−トを通るたびにブザ−!ブザ−??!!
中国東方航空MU526便は、定刻を少し遅れPm16:30離陸、青島で入関手続をし、北京に現地時間Pm20時(日本時間Pm21時)に到着した。
ここで、現地ガイドの丁さんが出迎えてくれた。丁さんは吉林省の出身で、大学では日本語を専攻し、北京の旅行社に就職したのだが、日本のバブルがはじけた頃、旅行社の仕事が無くなったので、三年間九州の博多にいたこともあり、日本語はほぼ完璧であった。年齢は31歳、子供は、モチロン1人ッ子
中国では、機内はもちろんのこと、歩道など公共の場所での、喫煙は禁止されていて、違反すると罰金を取られる。タバコ好きにとっては、我慢の連続であったが、丁さんもかなりのヘビ−スモ−カ−であったため、大いに助けられた。
2日目(2月19日)、予定では今日が長城観光の日であったが、明日北京市内でマラソン大会があり、市内の交通規制が予想されるので、今日を市内観光に変更する。


紫禁城をそっくり博物館にした故宮博物館と15世紀以来の歴代皇帝の祭壇のある天檀公園、広大な天安門広場などを見学する。
北京の印象は、バスの中からしか見てないからか、あまり活気が無く、観光スポットを除くと、夜は街路灯も少なく、暗い感じであった。
3日目(2月20日)。本日は、今回の旅行のハイライト、万里の長城(八達嶺)観光である。
我々の乗ったバスは、高速道路に入る前にガソリンスタンドで給油をする。中国のGSは全て国営で、サ−ビスは最低だそうである。ただガソリンは、1リットル3元(日本円で約40円)と安い?軽油(柴油)も同価格。
バスは高速道路を110Kmでぶっ飛ばす。バスは山腹を分け上がり、いよいよ長城が、遠くに見え隠れし出す。

秦の始皇帝が建設した長城は、現在ほとんど残ってはいない。現存する長城は明の時代のものを修復して、観光用に開放したものである。
八達嶺長城は、女坂、男坂とがあり、ロ−プウエ−もあるようだが、我々はバスで頂上近くの入口まで行き、そこから歩いて入場した。
見学時間は、1時間ちょっとしかなく、急いで登らないと両坂を踏破出来ない。
とりあえず観光客の多い女坂を登り、時間があったら男坂の方に行く事にして出発した。
女坂は距離は短いが、最後は梯子段を登るような急勾配である。冷たい風が少し出てきたが、汗ばんだ体には心地よかった。
女坂頂上で少し休憩し、男坂に向かったが、男坂頂上への中間点で、時間切れとなり、集合場所に引き返す。
この長城を見て、当時の為政者の北方民族への抜きがたい恐怖心がフツフツと感じられた。漢民族は、幾度と無く異民族(モンゴル、満州族など)に、支配された歴史がある。
一方、日本は四方を海に囲まれていたため、このような防御の必要がなかった。ただ一度、鎌倉時代に、元の侵攻に対して、九州に防塁が築かれた。もし元の侵攻が成功し、九州、中国地方などが占領されていたなら、その後の日本の歴史は大きく変わっていたであろう。
そんな感慨に囚われた旅であった。
4日目(2月21日)北京空港から上海空港へ。午後、上海市内の玉佛寺、豫園見学
市内レストランで夕食後、上海の夜景を観光遊覧船より約1時間満喫する。(但しこれはオプショナルツァ−)
北京が暗かった分、上海のライトアップされた夜景は、映画で見た香港の夜景に勝るとも劣らない素晴らしさだった。
浦東地区のビルが、ニョキニョキ林立している様は、中国の活力を感じるに十分であった。 
最終日(2月22日)、MU515便は、上海空港を定刻よりすこし早く離陸、関西空港へ12時20分無事着陸。
帰心矢の如し。丸5日間も家を空けた事が無く、帰り着いてほっと一安心。
やっぱり我が家が一番落ち着ける。
おわり
中国のビ−ル
青島ビ−ルが、日本では有名であるが、北京のレストランでは、燕京ビ−ルが、多いようだ。大ビン(日本の大ビンより小振り、中ビンくらいか?)が、5〜10元(日本円約65円〜約130円) 現在サントリ−、アサヒのス−パ−ドライなどが現地生産されている。
中国の物売り事情
まず、吃驚したのは、北京到着の翌朝バスに乗り、出発を待っていると、4〜5人の物売りが、バスの窓の下に来て、土産品、シルクのパジャマなどを売りに来た。酷(ひど)いのになると、バスの中まで、堂々と入って来て、売り込みをする。
五月蝿い(ウルサイ)ので、その後、私は「不要」(プ−ヤオ、いらない)で通した。
レストランでの食事のあとの物売り、行く先々の観光地での物売りに対しても同じだった。
唯一の例外は「要ビ−ル」(ヤオピ−チュ、ビ−ルが欲しい)であった。
ハプニング
2日目(2月19日)北京市内の観光の途中、ある有料の庭園で、お茶を飲むことになり、丁さんを先頭にゾロゾロと歩いて行く。物売りが寄って来て、土産物を見せる。長女が少し興味を示すと、ワッと4〜5人の物売りに取り囲まれてしまった。
物売りを振り切って、有料の庭園の前まで行くと、誰もいない。置いて行かれてしまった!! しょうがないので、バスで待つ事にした。
30分後、皆が帰ってきた。丁さんは、我々が有料の庭園に行かなかったことに気ずいていなかった。この辺がいかにも大陸的だ。
中国のトイレ事情
出発前、中国では、公衆トイレ(特に女性用)は、田舎に行くと、恥ずかしくて使用出来ない(外から丸見えらしい)というような情報があった。しかし、私達が行った観光地では、有料トイレがほとんどであったが、不便を感ずることは無かった。但し、ティッシュぺ−パ−は、必ず持参すること。北京空港、北京市内のレストラン、大きな土産物店など、トイレは清潔で、おまけに電気式エア−タオルが、設備されていたのには驚いた。
BGM:ベ−ト−ベンの「月光」 2樂章
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